同労者

キリスト教—信徒の志す—

巻頭言

— 祈ることによって、主の求めておられることを見いだす —

森田 初実


「主はあなたに告げられた。人よ。何が良いことなのか。主は何をあなたに求めておられるのか。それは、ただ公義を行い、誠実を愛し、へりくだってあなたの神とともに歩むことではないか。」(ミカ書 6:8)

 今年与えられたみ言葉です。
 私は数ヶ月前から自分の祈りのことをある集会を通して意識するようになり、心がけるようになりました。それは「声を出して祈る」ということです。聖書を学ぶ会の時、ある兄弟の質問に対して牧師先生のお答えの中に声を出して祈ることが話されていて、私はそのことに心がとまりました。
 その時から私は声を出して祈りはじめました。そのことによって私は少しずつ変えられていきました。ある人のために祈っていると自分の弱さ足りなさが示され、そうするとその弱さを助けてほしいと、いつの間にか自分のために祈るようになってしまうことに気づかされます。時にはいかに自分が罪深いところにあったか、しかしそのような者をも神は愛ゆえに私を赦して下さり、今また私が神の家族の一員として生きることができるさいわいを覚えて、キリストの十字架の血潮に感謝し涙することもあります。そして謙りの心を教えられます。
 私は叔父に教会に来てもらいたい、救いを与えていただきたいということが祈りの課題です。このために祈るときに自分が真実でなければならないと示されます。叔父の救いのために祈っているはずなのに、私が神の前に真実に生きているか?と問われてくるのです。
 このようにとなり人のために祈っていることが自分のことへの祈りになることをどうとらえたらいいのかと考えた数ヶ月を、思いおこしながら、また聖書を学ぶ会の時にこの質問をさせていただきました。その回答は2024年2月の同労者の、質問してみよう「聖書を学ぶ会」に報告されています。
 私にとって祈りが神との大切な時間になること、その中で自分の弱さや足りなさが示されていくことを感謝し、尚、神に助けをいただいて、神と歩みを共にしたいと祈ることができます。
 聖書を学ぶ会でも教えていただきましたが、私は年齢的に自分の時間を持てるようになっています。肉体的、精神的に少しずつ衰えてきていますが、それでもまだ社会の中では仕事に励んでいます。自分の確保できる時間を神に喜んでもらえる者として、何が大切かを把握し、それを勝ち取って歩んでいきたいと思っています。

(仙台聖泉キリスト教会会員)