同労者

キリスト教—信徒の志す—

わかふうふ、わかもん、いっしょに学ぼっ!

- 魅せられて -

石井 貴子

  「私たちは、救われる人々の中でも、滅びる人々の中でも、神の前にかぐわしいキリストのかおりなのです。」(コリントⅡ 2:15)  

 昨年12月に、第三子である長女を出産しました。冒頭の聖言から、山本嘉納先生より「天の御国の主を明らかにするかぐわしき香りとなる」という意味を込めて、娘に「香」という名前を付けて頂きました。 
娘はもうすぐで生後3ヶ月になろうとしています。まだ首が座らないか弱さを残しつつも、上の子ども達が騒ぐ中でも寝ている姿に、逞しさを感じます。子どもが3人いる生活も少しずつ慣れてきましたが、日々の慌ただしさは今までの3倍速になり、特に上の子ども達が保育園から帰宅し、寝かしつけまでの間はやるべきことが多く、マラソンを走っているかのような感覚です。 
 私自身は、これまで兄弟というものを意識して生きてきませんでしたが、家庭集会の中で山本嘉納先生・盡子先生が「子どもが3人いると、子ども達の中に社会が出来る」と仰っていたことが印象に残っていました。そして先生方の子育て、親子の関係性を伺い、魅力を感じ、何より子ども達にとって良いものであると信じて、私たちの家庭も3人目が与えられるように祈り始めました。そして、神様がその祈りに応えて下さり、第三子を与えて下さったことを感謝致します。 また、時間は前後しますが、私が教会に導かれるきっかけとなったのも、同僚であった今の主人に対して「この人の価値観は、世の中の人とは何かが違う」と気付き、そこに心地良さを感じ、同じように物事を考えられたら良いなと思った事でした。 それから主人がクリスチャンであることを知り、教会はどのような所なのか、どのような方が来ているのかと興味を持ち、教会へ足を運ぶきっかけになりました。 
 この2つの出来事の中に、何れも神様の導きがあったことを覚え、感謝致します。 
 クリスチャンになってからの歩みは、簡単ではなかったことも思わせられます。 
どうなるか分からないけれど信じてみる、自分自身を是正して、神様の御旨を探りながら従い続ける、その繰り返しでした。 しかし神様は、時間をかけて様々なことを教えて下さり、そのご支配の中に生きる時に祝福して下さることも、見せて下さいました。 私の「娘と一緒にティアーズで讃美したい!」という祈りに、神様が応えてくださったのだと信じています。そして、それを実現するために、私たちの家庭が大切にしているものをしっかりと娘にも教えなければと思わせられます。 
 娘には、私が主人に対して感じた「キリストのかおり」を放つ女の子に育って欲しいと願っています。娘の成長が守られますよう、祈りの端に加えて頂けますと幸いです。

(仙台聖泉キリスト教会 会員)