同労者

キリスト教—信徒の志す—

聖書研究

— 救いについて(39) —

野澤 睦雄


「あなたは、祈るときには自分の奥まった部屋に入りなさい。そして、戸をしめて、隠れた所におられるあなたの父に祈りなさい。」(マタイ 6:6)

3.聖書が示す人間観・・・救いの必要、救いの内容を考察する基礎

 <祈り>
  祈りは、自分ひとりの瞑想ではありません。
偶像教徒が拝むもののように、何か貴いお方を、一方的に拝んでいるのでもありません。
 祈りは祈る相手の方との交わりであり、その方を褒め称えたり、その方に語っていただき、その方に自分の思いや願い事を告げる幸いなひとときです。
 交わりには相手が必要です。
それで「誰に祈るのか」ということを理解しておきましょおう。
 イエス・キリストは」「父なる神に祈りなさい」と教え、ご自分がその模範となられました。私たちが祈る第一の相手のお方は「父なる神」です。

  また私たちの祈る相手のお方は、イエス・キリストです。
「人々は大声で叫びながら、耳をおおい、いっせいにステパノに殺到した。そして彼を町の外に追い出して、石で打ち殺した。証人たちは、自分たちの着物をサウロという青年の足もとに置いた。こうして彼らがステパノに石を投げつけていると、ステパノは主を呼んで、こう言った。「主イエスよ。私の霊をお受けください。」そして、ひざまずいて、大声でこう叫んだ。「主よ。この罪を彼らに負わせないでください。」こう言って、眠りについた。(使徒 7:57-60)
 ステパノはイエス・キリストに祈りました。彼は私たちの祈りの模範です。
私たちもイエス・キリストに祈るべきです。

 私たちは「聖霊に対して」祈るべきでしょうか。
聖霊は三位の神のお一人ですから、当然私たちの祈りをお受けになります。けれども聖霊は助け主として私たちにより近い位置をとられます。
「御霊も同じようにして、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、どのように祈ったらよいかわからないのですが、御霊ご自身が、言いようもない深いうめきによって、私たちのためにとりなしてくださいます。
8:27 人間の心を探り窮める方は、御霊の思いが何かをよく知っておられます。なぜなら、御霊は、神のみこころに従って、聖徒のためにとりなしをしてくださるからです。」(ローマ 8:26)
ですから聖霊に対しては、自分と同じ側の方として助けを求めるとよいのです。

(仙台聖泉キリスト教会員)