同労者

キリスト教—信徒の志す—

わかふうふ、わかもん、いっしょに学ぼっ!

 - 小学2年生の娘の決断 -

齊藤 遥

  「キリストの中に根ざし、また建てられ、また、教えられたとおりに信仰を堅くし、あふれるばかり感謝しなさい。」(コロサイ 2:7)

 このみことばは、今年与えられたみことばです。
 私には小学2年生の娘がおります。先日娘から「今度、学校の町探検で神社にも行くんだけど、私はどうしたらいいかな?」という相談がありました。いつもならすぐに意見を話しますが、娘の気持ちを聞きたかったので「あなたはどう思うの?」と確認しました。娘は「神社には行かないほうがいいと思うんだけど私はどうしたらいいのかな?」と話したので、正直に自分から先生に話す事を進めましたが、不安そうでした。そもそもどうして行きたくないかを確認する中で娘は「偽物の神様の場所に行く事は本当の神様が悲しむ気がして、行きたくない」と教えてくれました。私はその事を聞いて感謝を覚えると共に私が嬉しいように神様も喜んで下さっているから先生にお話しする時もきっと大丈夫だよと伝えました。毎朝、娘が出かける前に共に祈り送り出しますが、当日の朝は神様を覚えて先生にお話できますように助けてくださいと祈り送り出しました。
 緊張気味の娘でしたが少し安心した表情で出かけました。私も少し心配な気持ちもありましたが娘と一緒に祈る中で気持ちが整えられ神様におゆだねし送り出す事ができました。
 娘は帰ってから早速私に担任の先生と引率の校長先生に勇気を持って、教会に行っているから偽物の神様がいる神社には入らない旨をお話しできた事、結果的に神社の中には入らずに少し離れたところで校長先生とお話ししながら待っていた事を教えてくれました。友達からも色々と質問があったそうですが娘はその都度正直に答え、時に心無いことも言われたようですが、そこにとらわれずに乗り越えた話を聞き、娘を神様が助けて下さった事に感謝を覚えました。
 このようにして、日常の中で突発的に起こる試みは少なからずあり、今回は娘との関わりを通して私自身の信仰の確認の時であったように思わされます。
 礼拝や各例会の嘉納先生のメッセージやみことばに自らを入れさせて頂く中に自分がどう信仰を持って歩んでいくかや、この時代にあっても溢れる情報に惑わされずに変わらない神様を選択し続けることの大切さが私自身示され続けています。
 救われる前は自分中心な考えであったので、誤った選択をし続け、かえって自分を愛せず苦しい中で生きていた者でした。しかしこの様な私も神様は救いの対象として多くの兄姉を通し愛し関わって下さいました。特に伝道師の盡子先生は私が幼い頃から今でもいつも傍らにあってその時々に相応しく信仰の成長を与え続けて下さり、常に神を第一に選択する事がいかに幸いかを教えてくださり、また私がどうしようもなく迷った時も共に祈り、時には厳しく諭し共に取り組んで下さいました。多くの経験を通して信仰の成長が与えられ私を罪の中から贖い出してくださった神様と共に生きる選択がどれほど幸いなことかに気づかされ、私はイエスキリストを信じ歩み出す事が出来ました。今2人の娘を育てる中で、神様を側近くに覚えながら、日々神様のとりなしの中、生かされている事に感謝を覚えます。尚、娘たちが救いの道を見出す事が出来る事を信じ、取り組みつつ私自身も引き続き神と共に歩んで行きたく願っております。

(仙台聖泉キリスト教会 会員)