同労者

キリスト教—信徒の志す—

JSF&OBの部屋

~ キリスト者の一致(6) ~御霊は一つ~ ~ 

石井 和幸

「からだは一つ、御霊は一つです。あなたがたが召されたとき、召しの望みが一つであったのと同じです。主は一つ、信仰は一つ、バプテスマは一つです。すべてのものの上にあり、すべてのものを貫き、すべてのもののうちにおられる、すべてのものの父なる神は一つです。」 (エペソ 4:4-6)

引き続き、D・M・ロイドジョンズ著「キリスト者の一致」という本から学び、示されたことを書かせていただきたく思います。
 前回は「キリストのからだである教会」がテーマでありましたが、今回「御霊は一つ」ということを掘り下げています。まず著者は「教会がキリストのからだ」ということに対し、どのようなことからそう言えるのか、なぜそれは形造られ存在してきたのか、そのいのちとは?からだの働きを可能にし、生きた、いのちの通う有機体としているものは何か?という問いかけを読者に向かって投げかけます。 その問いに対し使徒パウロは、「からだは一つ、御霊は一つ」と答え、聖霊なる神が「からだ」のまさに中心におられて、有機的ないのちとなり、からだのすみずみまで行き渡ってくださる事実を示し、教会は、聖霊なる神ご自身の働きの結果にほかならないこと、ただひとりの御霊なる神が、教会を生み、保ち、祝福といのちを与えることを語っています。
 エペソ人への手紙を通して使徒パウロは「教会の一体性の教理」を示していると著者は述べています。さらに著者は詳しく聖霊の働きを記します。聖霊ご自身は、からだの有機的な一体性が保持されるように、まるで血液のように各器官に行き渡り、みなを一緒に結び合わせ、一つにされる、新生に至るまでの準備的働き(先行恩寵)をされること、認罪と新生、そして教会というキリストのからだに一体化させる働きをされ、私たちが互いに御霊の実を結び、「謙遜と柔和の限りを尽くし、寛容を示し、愛をもって互いに忍び合い、平和のきずなで結ばれて御霊の一致を熱心に保ちなさい」(エペソ4:2・3)と促されることを著者は明らかにしています。
 私は前号の巻頭言にて書きました通り、直腸にあったポリープを除去する内視鏡治療を受けました。この入院・治療のために教会の牧師先生方を初め、多くの兄弟姉妹、同労者が心を一つにして祈り、励まして下さいました。私はそこに「キリストのからだなる教会」「御霊の一致」を実感させていただきました。また、聖霊は私の心を常に守り、感謝に満ち溢れるようにしてくださいました。退院後、6月17日に病理検査の結果、診断を受けました。その結果は私が望んだ良いものではなく、追加手術が必要とのことでした。しかし、その結果を教会の先生方、役員の方々に報告したところ、すぐに祈りと励ましのお返事を皆様からいただき、私はとてつもない感謝を覚えました。その一つ一つの言葉や表現は同じではありませんが、私はそこに確かな主の臨在と導きを見出すことが出来ました。私に与えられた十字架が取り去られることはありませんでしたが、共に十字架を担ってくださり、喜びと涙をともにしてくださる、愛する隣人を主は備えてくださり、私のような小さき者でもキリストの体の器官として、聖霊によってまさに結び合わされていることを覚え、感謝しております。そして教会の祈りと励まし、聖霊の促しは私自身を十字架の前に押し出すものであり、喜んで主に栄光を帰する勝利の道へ導くことを信じて、なお歩んでいきたいと思っております。

「しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。このようなものを禁ずる律法はありません」(ガラテヤ 5:22-23)

(仙台聖泉キリスト教会 会員)