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ショートコラムねだ

— 祭司の町 —


「祭司アロンの子孫には、殺人者ののがれの町ヘブロンとその放牧地、それにリブナとその放牧地、ヤティルとその放牧地、エシュテモアとその放牧地、 ホロンとその放牧地、デビルとその放牧地、アインとその放牧地、ユタとその放牧地、ベテ・シェメシュとその放牧地。すなわちこれら二つの部族から九つの町を与えた。 またベニヤミン部族の中からも、ギブオンとその放牧地、ゲバとその放牧地、アナトテとその放牧地、アルモンとその放牧地、この四つの町を与えた。それでアロンの子孫である祭司たちの町の総数は、十三の町とその放牧地であった。」(ヨシュア記 21:13-19)

 祭司アロンおよび同族のレビ族は嗣業の地を与えられませんでした。それはヤコブが臨終の時にのべた子孫への祝福のことば「シメオンとレビとは兄弟、彼らの剣は暴虐の道具。 わがたましいよ。彼らの仲間に加わるな。わが心よ。彼らのつどいに連なるな。彼らは怒りにまかせて人を殺し、ほしいままに牛の足の筋を切ったから。 のろわれよ。彼らの激しい怒りと、彼らのはなはだしい憤りとは。私は彼らをヤコブの中で分け、イスラエルの中に散らそう。」(創世記 49:5-7)の中にあった、「イスラエルの中に散らそう」ということが実現したものです。レビ族はイスラエル全体のなかにちらされましたが、シメオン族はユダ族の中に散らされました。
 のがれの町は祭司の町となりました。そのほか合わせて13の町が祭司にあたえられました。祭司の町には付属地があって、彼らも農耕をし、家畜を飼いました。イスラエルのすべてのひとが、彼らの得た富の10分の1をしっかり献げていたなら、祭司はもとよりレビ人も、自分の家畜を飼う必要はなかったでしょうが、現実はそうではありませんでした。
特に、国が南と北に分裂したとき、北王国のヤロブアムが偶像礼拝に走り、祭司、レビ人たちに礼拝の捧げ物をわけることをやめたときは、生活できなくなって嗣業の町を捨て、南王国に逃げていったことが記されています。偶像には仕えないということが中心ではありますが、「イスラエル全土の祭司たち、レビ人たちは、あらゆる地域から出て来て、彼の側についた。 実は、レビ人は自分たちの放牧地と所有地を捨てて、ユダとエルサレムに来たのである。ヤロブアムとその子らが、主の祭司としての彼らの職を解き、自分のために祭司たちを任命して、彼が造った高き所と雄やぎと子牛に仕えさせたからである。」(歴代誌Ⅱ 11:13-15) 祭司の町の名は、冒頭のみことばに記されています。
 サムエルを育てたエリはアナトテの人でしたがシロで神の箱の置かれた幕屋で神に仕える祭司を務めました。エリのひ孫のエブヤタルがソロモンに神殿の祭司職を罷免されて、アナトテに帰らされました。
「ソロモンはエブヤタルを主の祭司の職から罷免した。シロでエリの家族について語られた主のことばはこうして成就した。」