同労者

キリスト教—信徒の志す—

論説

— 創世記15章 ー
<聖書を読みましょう>

「これらの出来事の後、主のことばが幻のうちにアブラムに臨み、こう仰せられた。「アブラムよ。恐れるな。わたしはあなたの盾である。あなたの受ける報いは非常に大きい。」そこでアブラムは申し上げた。「神、主よ。私に何をお与えになるのですか。私には子がありません。私の家の相続人は、あのダマスコのエリエゼルになるのでしょうか。」さらに、アブラムは、「ご覧ください。あなたが子孫を私に下さらないので、私の家の奴隷が、私の跡取りになるでしょう」と申し上げた。すると、主のことばが彼に臨み、こう仰せられた。「その者があなたの跡を継いではならない。ただ、あなた自身から生まれ出て来る者が、あなたの跡を継がなければならない。」そして、彼を外に連れ出して仰せられた。「さあ、天を見上げなさい。星を数えることができるなら、それを数えなさい。」さらに仰せられた。「あなたの子孫はこのようになる。」 彼は主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。」(創世記 15:1-6)

 創世記15章は、二つの部分からなっています。
 前半は、神がアブラハムにあなたがいまいるこの地をあなたの子孫に与えると約束されたことをきっかけに、神にあなたの子孫は天の星のように多くなるといわれた事を信じ、「その信仰を義と認められた」ことにあります。
 この信仰による義は、殊に新約聖書でイエス・キリストの贖いの死と、それを人間が受け取る行為として「信じること」が、重要なものとして取り上げられています。信じることが鍵ですから「信仰による義」と呼ばれています。神は義である性質をお持ちで、人間はその神に似せられて創造されましたから、最初の人アダムは義である性質を持っていたのです。彼が罪を犯したために彼の子孫である人類は皆、義はなく、罪の存在になりました。イエス・キリストが十字架の死による贖い・・身代わりの死・・によって、それを信じる人々に神の義が与えられます。それで信仰による義は神の義です。
 創世記15章の後半は、アブラハムが自分の子孫にこの地を相続させるという神のお約束の実現を信じることができるようになされた、裂かれた犠牲の間を煙の立つかまどと燃えるたいまつが通り過ぎる異象について書かれています。
「さあ、天を見上げなさい。星を数えることができるなら、それを数えなさい。」さらに仰せられた。「あなたの子孫はこのようになる。」といわれた神のことばに、燃えるたいまつの異象によって、神は保証をくわえられました。