巻頭言
— 導 き —
齊藤 優子
「主は絶えず、あなたを導いて、焼けつく土地でも、あなたの思いを満たし、あなたの骨を強くする。あなたは潤された園のようになり、水のかれない源 のようになる。」(イザヤ書58:11)
今年もイエスキリストの生誕の時を覚えながら、この一年を振り返る時期になってきました。
教会においては、一つのクリスチャン家族が生まれ、また双子の幼子が無事に誕生し、豊かに神の祝福があったことを覚えて、喜びと感謝を共にさせて頂きました。
また同時に病との闘いにいらっしゃる方々、教会に来られない方々のために祈りの課題も多くあったことを思います。
私も今年12月の誕生日を迎えると65歳になります。20歳で救いを受けさせて頂いてから45年が過ぎようとしています。本当に良いおばあちゃんになりました(笑)
10月に長男家族と孫娘二人を連れて、会津の山の方にある私の実家に行かせていただきました。大変な道や慣れない環境(虫やトイレの問題など)で戸惑いもあったと思いますが、長男家族の姿を見て祖母はとても喜んで良き慰めになりました。そのことも私にとっては感謝でした。
私の実家は飯豊山のふもとにある片田舎で限界集落になるほど人が減り、80歳以上が9割くらいと日本の田舎の事情がそのようになってきている現実がそこにあります。昔からの風習やしきたり、宗教においても根強いものがあり、心に残っているのが現状です。
ですから私自身ここからイエスキリストを信じてクリスチャンになるというのが驚きでもあります。
いま教会学校のヘブロンの会ではパジェット・ウイルクスの救霊の動力を読ませて頂いております。そこには田舎とは反対の街中であり、港町、神戸の飲み屋街に伝道館をたて、救霊に励んだ牧師・宣教師の活動が記されています。多くの人々が救われた記録と、また反対に信じることが出来ず離れていってしまった人々の様々な問題も記されています。その人の心、本当にそこに何かを求めている純粋さや必死さがあるのか、意外と自分でも気づいていない心の底に神の御業が働かれていることを思わされております。
いま講壇の上ではヨハネ伝がメッセージによって語られております。聖霊が働いてくださっている中にあって自らや福音伝道の中に変革が求められている、それが何であるかを探りつつ、尚、神を待ち望んでいきたいと思います。