聖書研究
— 救いについて(68) —
野澤 睦雄
「イエス・キリストの誕生は次のようであった。その母マリヤはヨセフの妻と決まっていたが、ふたりがまだいっしょにならないうちに、聖霊によって身重になったことがわかった。 夫のヨセフは正しい人であって、彼女をさらし者にはしたくなかったので、内密に去らせようと決めた。 彼がこのことを思い巡らしていたとき、主の使いが夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフ。恐れないであなたの妻マリヤを迎えなさい。その胎に宿っているものは聖霊によるのです。マリヤは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方こそ、ご自分の民をその罪から救ってくださる方です。」このすべての出来事は、主が預言者を通して言われた事が成就するためであった。「見よ、処女がみごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」(訳すと、神は私たちとともにおられる、という意味である。)ヨセフは眠りからさめ、主の使いに命じられたとおりにして、その妻を迎え入れ、そして、子どもが生まれるまで彼女を知ることがなく、その子どもの名をイエスとつけた。」(マタイ 1:18-25)
5.救いの再考察
人間に救いが必要であること、キリスト教が伝えている救いはどのようなものか、どのようにすればそれが得られるか、救って下さるのは神ですが、そのお方はどのようなお方であるのかなどにつちえ察してきました。ここでもういちど救いについて整理したいと思います。
イエスがひとになられてこの世においでになるとき、ヨセフに告げられた主の使いが彼に告げたこと
「ご自分の民をその罪から救ってくださる方です。」
が、キリスト教の中心の思想です。頭で考える事柄にとどまらないで、実際に実現することに意味があります。
<自由と罪の関係>
人間が自由であることは非常に大切なことであることはいうまでもありません。
神は人間を自由なものとして創造されました。
「神は仰せられた。「さあ人を造ろう。われわれのかたちとして、われわれに似せて。彼らが、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配するように。」神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。」
(創世記 i:26-27)
「神のかたち」は人間が霊すなわち人格であり、自由意志を持つものとされたことを示しています。
自由という素晴らしいものは、義しく生きる事にも、罪に生きることも自分で決めることができることを意味します。