同労者

キリスト教—信徒の志す—

聖書研究

— 救いについて(62) —

野澤 睦雄


「さて、アブラムが九十九歳のとき、主はアブラムに現れ、こう言われた。「わたしは全能の神である。あなたはわたしの前に歩み、全き者であれ。」(創世記 17:1)
「ナオミは彼女たちに言った。「私をナオミと呼ばないで、マラと呼んでください。全能者が私を大きな苦しみにあわせたのですから。」(ルツ記 1:20)
「わたしはあなたがたの父となり、あなたがたはわたしの息子、娘となる。──全能の主は言われる。」(コリントⅡ 6:18)

4.救ってくださる神

 私たちを救って下さる神はどのようなお方か考察を続けています。各項目は互いに関連していて、他の項目を述べているときにも、べつな項目の内容がでていますので何度も重複しています。
 今回は「神は全能です」ということをとりあげます。前回使徒信条の最初に「私は全能の父なる神を信じます。」と信仰告白していることを取り上げました。
 冒頭のみことばに
  ・全能の神
  ・全能者
  ・全能の主
と、でてきますがいずれも同じ事をいっています。
 奇跡を信じない人々は、神が「全能の神」であることを信じていないのです。以前取り上げた、神がアブラハムに、「サラに子が生まれる」と言われたことを、かげで聞いていたサラが、枯れ木になってしまった私になんのたのしみがあろうか、と笑ってしまったとき、神は「主に不可能なことがあろうか」と言われました。
神に不可能な事はないのです。
 私たち「罪人」が救われるのは、まさに「奇跡」です。
 聖書にはこういうことが書いてあります、キリスト教ではこういうことを教えています、とその内容を説明することは容易です。表面的なことは理解してもらえるでしょう。しかし、
「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」(ヨハネ 3:3)
とイエスが言われたとおり、霊の世界、天(神)のこと、神の救いの世界を理解して貰うことは人間の業ではありません。
 世の人々をイエスに導くために、聖書の奇跡の記事は彼らを遠ざけてしまうから、なるべく触れないで置こうとか、ありふれた自然現象で説明しようとすることは愚かです。それでは人に知識を与えることができても、救いはあたえられません。
ユダヤ人たちが求めたのと同様、奇跡は神の権威を示すもので、今も求められます。神の人はそれを求められます。聖霊の賜物を頂いていないなら、考え直しましょう。「求めなさい。そうすれば与えられます。」これがイエスの教えです。

(仙台聖泉キリスト教会員)