同労者

キリスト教—信徒の志す—

聖書研究

— 救いについて(67) —

野澤 睦雄


「二羽の雀は一アサリオンで売っているでしょう。しかし、そんな雀の一羽でも、あなたがたの父のお許しなしには地に落ちることはありません。また、あなたがたの頭の毛さえも、みな数えられています。」(マタイ 10:29-30)

4.救ってくださる神

・神は全知です。
<神はすべてのことを知っている>
全知とは文字通り「全てを知っている」ことです。
「神は私たちの心よりも大きく、そして何もかもご存じだからです。」
 神はすべての場所でおきていることを見ておられます。
「主の御目はどこにでもあり、悪人と善人とを見張っている。」(箴言 15:3)
 神は自然界のできごとのすべてを知っておられます。
「主は星の数を数え、そのすべてに名をつける。・・・神は雲で天をおおい、地のために雨を備え、また、山々に草を生えさせ、 獣に、また、鳴く烏の子に食物を与える方。」(詩篇 147:4-9)
 神はすべてのひとのこころとその行っていることをごぞんじです。
「主よ。あなたは私を探り、私を知っておられます。あなたこそは私のすわるのも、立つのも知っておられ、私の思いを遠くから読み取られます。あなたは私の歩みと私の伏すのを見守り、私の道をことごとく知っておられます。ことばが私の舌にのぼる前に、なんと主よ、あなたはそれをことごとく知っておられます。」(詩篇 139:1-4)
 神は世のはじめから終わりまで知っておられます。
「遠い大昔の事を思い出せ。わたしが神である。ほかにはいない。わたしのような神はいない。 わたしは、終わりの事を初めから告げ、まだなされていない事を昔から告げ、『わたしのはかりごとは成就し、わたしの望む事をすべて成し遂げる』と言う。」(イザヤ書 46:9-10)

(参考)
 「神がこの世のできごとを全てご存じである」ということが、カルヴィン神学の「聖定」の論拠となっています。全部知っているということは「この世のできごとは全部決まっている」と考えるからです。「この世のすべてのできごとが全部決まっている」とすると「人間は自由である」ということと矛盾します。もし人間が自由でなかったら「神は罪の創作者である」ことになります。それで一般のカルヴィン派の人々は矛盾を承知で「聖定」と「自由」の両方をとります。
 アルミニアンは「人間は自由である(世の事は全部きまってはいない)けれども、神はすべてをご存じです。」としますが、それも人間の知恵の及ばない神秘です。

(仙台聖泉キリスト教会員)