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キリスト教—信徒の志す—

読者の広場 <お便り>

— 三浦綾子東京読書会・レター参加 —

十文字 隆男

製作日 12月23日(火)夜起稿
テキスト1:ひつじが丘、三浦綾子著、講談社文庫
    2:三四郎、夏目漱石著、新潮文庫   

 テキスト2がとりあげられた理由は、「わが青春に出会った本」(三浦綾子著)の中で、「三四郎」という書物の影響を、三浦綾子が深く受けていることが記されているからです。
 三浦綾子は、この「三四郎」について、p.202〜203で、はっきりこう断言しています。「『我は我が愆(とが)を知る。我が罪は常に我が前にあり』と呟く。これは旧約聖書詩篇51篇の有名な言葉である。ざんげの詩なのである、美禰子(みねこ)が教会に行っていたこと、美禰子の口からこの言葉が出たこと、何れも私には唐突に思われた、が、考えてみると、幾度も美禰子がストレイシープと言った心がここではっきりと見えてくる。漱石はこのストレイシープと、詩篇の言葉を書きたくて、この作品を書いたのではないだろうか。」
 三浦綾子の鋭い洞察力がこの一文に示されている。

 「三四郎」の参考文献として、私が読んだのは6冊です。1冊目、2冊目は、「夏目漱石集(一)、(二)」(集英社)の「作家と作品」の箇所、3冊目は「日本の文学2」(風讃社)、4、5冊目は、「漱石文学の全貌(上下巻)」(国書刊行会)、6冊目は、「文鳥・夢枕」夏目漱石著、新潮文庫、(大学時代から30回位読んで暗記しているくらいのお気に入りの作品で、私にとっては、今でも、心がふるえる感動の作品)です。
 「日本の文学2」によると「ストレイシープ stray sheep」...「聖書に出てくる言葉で、直接的には迷える子羊ということだが、「自制心を失った者」ということでもある。」と結論が出されています。「三四郎は、1908(明治41)年、漱石41才の時の作品で、永遠の青春文学として評価は高い。また近代日本の時代を案内していくという意味で、明治後半の社会背景や当時の若者気質などにも触れることができる。」と述べられています。
 また、「夏目漱石全集(一)」(集英社)の中では、次のように語られています。「美禰子は、結局のところ、三四郎のうぶな心を弄(もてあそ)ぶ。彼女は、野々宮の中に責任を回避する男性を認めたが、三四郎のなかに、生活力に欠けた男性を認めた。・・・三四郎の恋ともいえぬ淡い恋は、美禰子によって裏切られた。美禰子は、世俗的な男性のなかに、自己の安全と自らのいっさいを求めた。彼女は自己に忠実に生きようと思わぬのでもなかったが、現代の社会の欠陥をよく知っていた。だから軽々しく矛盾の克服などと言わなかった。彼女は生活の破綻を最も怖れたのである。彼女もまた「迷える子羊・ストレイシープ」の一人にすぎなかった。」と。
 また、「漱石文学の全貌、上巻」(国書刊行会)では、次のように述べられている。「とくに、「迷羊・ストレイシープ」の繰り返しは注目しなければならない。この言葉の初出は、菊見物のとき、美禰子が三四郎に「迷子の英訳」を教えるといって出て来たものである。だからそのときは文字も「迷へる子・ストレイシープ」となっている。当時美禰子は、野々宮に、三四郎は美禰子に、それぞれ不毛の愛の動揺を感じていたときである。「迷へる子・ストレイシープ」はそれを象徴することができた。しかし、ここにあるのは、「迷羊(ストレイシープ)」である。いうまでもなく漱石が恣意(しい)的に、あるいは不用意に「迷へる子・ストレイシープ」「迷羊」の二様の文字を使っていると考えざるを得ない。とすれば、「迷羊」は当然マタイの福音書第18章の12-14節の、「誠に汝らに告ぐ、迷はぬ九十九匹に勝りて此の一匹を喜ばん。斯(かく)のごとく此の小さき者の一人亡ぶるは、天にいます汝らの父の御意(みこころ)にあらず。」の一匹の迷える羊のことであろう。すなわち三四郎も美禰子も、それぞれに「天にいます父」の慈しみ給う愛、その祝福を受ける恋によって救われる「迷羊・ストレイシープ」である。」と述べられています。
 個人的に「三四郎」は、読み出したら面白くて、いっきょに2回、繰り返し読んでしまいました。本当に面白かったです。
 「ひつじが丘」は、敬愛する森下先生(三浦綾子記念文学館、特別研究員)にTELして、
(1)登場人物に出てくる奈緒実や良一のモデルは実際にいるのか?
(2)何故、この小説を三浦綾子は「ひつじが丘」というタイトルにしたのか?
(3)何故、たくさんのキリスト像の中から、「ルオーのキリスト」の絵を三浦綾子は良一に対して認定したのか?
(4)何故、三浦綾子は良一を殺す構図にしたのか?
以上、4つの質問をしてみました。
(1)のお返事は、モデルはいないこと、但し、奈緒実の父(牧師)は西村久蔵先生、母は、久蔵先生の奥様がモデルであったのをどこかで知りましたとのことでした。
(2)は、ひつじが丘は、若者のカップルがのんびり散歩できる広い野原であり、現に在り、確か、その若者たちを迷っている羊に例えているのではないでしょうか?という、私自身も記憶があいまいですが、そのようなお返事でした。
(3)は、ルオーのキリストは、「何とも言い尽くせない憐れみのまなざし」を強く三浦綾子は押し出したのではないでしょうかというお返事でした。
(4)は、森下先生ご自身もわからないということでした。
 次に、「ひつじが丘」のCDが、小岩栄光キリスト教会員の竹中友美さんが出しているので、小岩栄光キリスト教会にTELしました。そしたら、竹中友美さんは、献身して牧師になられ、ご結婚され「鳥取ビーチチャーチ」を開拓していらして、竹中もたしか田中とかいうお名前に変わっておられるということなので、その教会のTELを教えて頂き、実際に友美さん(先生)にインタビューできました。
 次のような三つの質問をしました。
(1)友美先生は、「ひつじが丘」という小説を何回位読んで、作詞作曲したのか?
(2)曲の出だしが、とても哀調をおびていてもの悲しいのはどうしてか?
(3)いつ頃からピアノを習っているのか?
(1)のお返事は、1回読んで作詞・作曲にとりかかり、ひととおりできあがってから、好きなことばを何回か深く味わい読み直されたということでした。
(2)のお返事は、人は皆イエス・キリストに真に出会うまでは、傷つき悲しみの人なので、短調で始め、その悲しさを出したかった、ということでした。
(3)は、確か小3の時から高校生の時までピアノを習っていたそうです。
 私自身は「ひつじが丘」は、4回読み直しました。一番心の中に残っている三浦綾子のことばは、p.303の「恋というものだけは、この世で最も純粋なものだと思っていたけれども、恋もまた、結局は自分中心なものに過ぎないのかも知れない。」ということばでした。私自身、何だか悲しくなって、一日中ポロポロ涙をこぼして泣いてました。泣き続けました。

 このシートをかけがえのない私の二人の息子、信悟と司、私にお手製の聖書カバーを作ってプレゼントして下さった春日部読書会代表の坂根さんご夫妻、石川栄一先生ご夫妻、高橋羊吾、有香さんご夫妻、高橋逡潤・千花宣教師、ミレニアム・チャーチの猪爪姉、床枝姉、土屋兄、大熊兄、大西さん、江川さん、また何よりも北本三浦綾子読書会に献身してくださっている森下辰衛先生ご夫妻、レター参加してくださる凡ての牧師先生、兄弟姉妹、求道者の笹一廣さん、渡辺卒樹さんに愛をこめて捧げさせて頂きます。

(東京ミレニアムチャーチ 会員、
日本キリスト教団北本教会客会員、
「父の学校」「ラブ・ソナタ」献身者、
VIP表参道奉仕者)

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