同労者

キリスト教—信徒の志す—

JSF&OBの部屋

主にある同労者として

石井 和幸

「その後、神である主は仰せられた。『人が、ひとりでいるのは良くない。わたしは彼のために、彼にふさわしい助け手を造ろう。』」 (創世記 2:18)
「兄弟たち。私を見ならう者になってください。また、あなたがたと同じように私たちを手本として歩んでいる人たちに、目を留めてください。」 (ピリピ 3:17)

 アメリカに新しい大統領が誕生しました。世界的な不況の中、困難を何とか乗り切るために、オバマ大統領は就任演説の中で、「国民それぞれが責任を持つこと」を強く呼びかけました。新しい年が始まり一ヶ月が経とうとしていますが、私が生きるこの日本も、昨年までと同じように成長がないまま仕事をしていると、窓際族どころか、すぐ解雇されてしまうような不景気な世情です。私自身も、責任を果たすために、昨年以上の努力と取り組みの必要を感じて歩んでいます。・・・一歩踏み出そうとする時、新しい展開を切り開こうとする時に、そこには不安と困難が付きまといます。「できっこないよ」「手を付けない方がよかったのでは?」と思うこともあります。私が独身の時は、何とか困難の隙間からスルスルっと抜けていくような、逃げているシーンが多々ありました。けれども家庭を持ち、子供が与えられた今は、しっかり神が遣わされるところで使命を果たすことが示されます。自らが前向きに、真摯な姿勢をとり続ける時に、仕事においても、信仰生活においても、良き助け手、働き人が備えられ、一個人の取り組みが「共有」の取り組みになって、そして神が豊かに導いてくださる一つの証が立てられることを信じながら、日々歩んでおります。
 一月初め、私達夫婦は独身時代から関わっている超教派団体の役員会に出席していました。その席で、私より4歳年下のSさんが、証しをしてくださいました。「・・・僕はこの団体での交わり、奉仕に携わっていなかったなら、教会の役員という責任を全うできなかったかもしれないし、役員に召されなかったかもしれない。今こうして自らの信仰生活が守られているのは、すぐ前を歩んでいる先輩方の信仰の歩みに触れる事ができたからであり、そのことを神様に感謝しています。・・・」 Sさんはクリスチャン二世であり、子供のころから、教会の友に支えられながら信仰を持ちました。けれども10年前、私と初めて出会った時、彼は本当の意味で「神の御言葉を求め、活かされる」信徒ではありませんでした。彼は魅力的に見える世俗的な生活、でも捨てようとは思わない神の恵み、その狭間で揺れ動く心を素直に、私や他の先輩達、そして教会の牧師、仲間に打ち明けてきたのです。
 私は、彼に対しては常に、あいまいな、妥協した答えをするわけにいきませんでした。なぜなら、私自身も、先を歩む人達に倣い、神の真実のもとに居続けること、そして神が導いてくださる結婚を目指して、忍耐し、歩んでいたからです。私は今の家内と結婚する時に、Sさんに披露宴でのスピーチをお願いしました。彼自身初めてのスピーチとのことでしたが、それを承知で依頼しました。なぜなら彼は、私と家内共通の「同労者」であったからです。
 日本のクリスチャン人口は、総人口の約1%。この割合は宣教が続けられて何十年経っても変わっていないと言われます。その原因の一つは「クリスチャン卒業」ということ・・・入信して3年位して、教会を離れ、信仰を離れていく人が多数いるからだそうです。クリスチャンとして、神からの使命と責任を果たさないまま離れてしまう。それは「まぁ、こんなもんか」という思い、そして私が大変な仕事をしようとする時にふと心に浮かぶ「できっこない」「もういいのでは」という思いがあるからではないでしょうか。「同労者」という言葉は、(誌上で何回か説明されていますが)、広辞苑には掲載されていない、聖書独自の言葉なのだそうです。まず自分が神を見上げ、共に祈り、戦う「同労者」を見いだすこと、そして自分が誰かの「同労者」として遣わされていくことの大切さを示されています。
 そのような営みが自らの教会で事足りれば幸いですが、この誌上において神が豊かに信仰の研鑽を与えて下さるなら尚、幸いだと思います。
 昨年暮れ、家内は友達が主催している子育てのサークルに参加し、また続けて参加しようと思う旨を私に話しました。その時私は、「その場において、子育てのこんな方法があるとか、こんな時は大変だねとか、それに対し、ただうなずいているようでは、わざわざ出かけて行く意味はないよ」と伝えました。やはり、「私の子育ては始まったばかりですが、神を信じ、夫と、そして教会の人とともに信仰をもって取り組んでいます」・・このことを言葉と態度の端々にでも表していかないと、私達が家庭を与えられている意味を持たないことを、私は家内に示しました。私達が果たそうとしている責任とは、神からのものであり、使命です。そしてその矛先は自らの愛する者にむけられていくことを確認しつづけ、信仰の同労者が与えられていることを感謝しながら、歩んでいきたいと思っております。
(仙台聖泉キリスト教会 会員)

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