同労者

キリスト教—信徒の志す—

JSF&OBの部屋

主にある家庭を築く・・・感謝と望みをもって

石井 和幸

「信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。昔の人々はこの信仰によって称賛されました。信仰によって、私たちは、この世界が神のことばで造られたことを悟り、したがって、見えるものが目に見えるものからできたのではないことを悟るのです。」
(ヘブル 11:1〜3)

 私は学生の時、同じ大学のKGKで活動していた友に、(その友はクリスチャン2世でありましたが)「石井君は、かかえている奉仕をすべて投げ出したくなる時ってないの?」と聞かれたことがありました。 私は当時その質問に違和感を抱きながら、「自分も教会のなかで、愛され、育てられてきたのだから、主の必要に応えるのは当然だよ」と答えたことを覚えています。 先日、同じ教会のT兄と仕事で出張した際、高速道路のサービスエリアで家族連れが沢山いるのを目にしながら、T兄から、「和幸さんは、平日仕事をして、日曜日、休日を家族とともに過ごし、家族サービスをすることに疲れを覚えませんか?」という質問をされました。彼が質問した本意は、自分が近い将来その立場になったら、同じように出来るかどうか不安があるということでした。私は、自分も独身時代T兄と同じ思いを抱いたことを話し、自分は家庭の中で妻に支えられ、子どもから元気をもらっているのだから、今の自分は家族のために喜んで労することが出来ること、家庭崩壊の要因は、与えられた家庭を感謝できず、自分が傲慢になって、違うものを求め始めるところにあること、神が与えてくださった家庭に感謝できる信仰があるなら、神は豊かに導いてくださることを話し、「Tさんだって、日曜日は朝から、最後の集会の片付けが終わるまで1日教会にいるじゃないか。その信仰があればいいと思いますよ」と答えました。
 ここ数回同労者にて、娘との関わりについて書いておりますが、今も引き続き仕事から帰宅して、娘と一対一で向き合う時を持っています。仕事が長引いたり、教会で音楽練習があって帰宅が遅くなっても、家内が、「もう・・・今寝かせるところだったのに、とと(父親である私)が帰ってくると真実(娘)のテンションがあがるんだから!」と言うくらい、楽しい時を持っています。それは、娘の思い通りに、やりたいことをさせる時でもあります。 その一方、娘がどんなに自己主張をしても、従ってもらわなければならない時があることも教えています。その一例が礼拝の時間です。 ・・・私は、自分が子どもであった時に、同じように両親に関わってもらったことを感謝しています。私は長子なので、関わりをもつ時間が兄弟のなかで特に多かった気がします。両親の悩みを目の当たりにしたことも多くありましたが、「信仰を受け継いでほしい」という親の願いを何より強く感じることが出来ました。
 私たちの教会では、ここ数年の特長として、「一つの伝道プロジェクトを、小学生から親の世代・・・幅広い年齢層で構成する」ことがあります。そのことは、他教会の人には、「小さな魂をないがしろにせず、むしろ信仰の先輩がバックアップしている」姿として映るようです。 ともすると、伝道や教会の奉仕は「比較的動きやすい若い世代」または教職者中心に偏りがちな場合がありますが、私も若い方々、子どもたちと共に奉仕に携わることによって、このことには大切なねらいがあることに気づきました。 それは、「目に見えないもの、事がら・・・神のわざを信じる信仰の継承」です。 むしろ、大人のほうが世の生活にさらされて、目に見えること、計算できることのみを当てにする価値観に偏りやすいのですが、神の豊かな導きと祝福を信じつつ、地道に取り組み続ける姿を子どもたちに見せる必要があるのです。
 私は教会野球部のヘッドコーチをしています。 歴代の監督やコーチは、「目に見えないものを信じていくこと」を伝えるために、采配をふるい、共に成長を願いながら汗を流していました。 4回無失点のエースを5回からスパッと交代したり、 ベテランをスタメンに使わずに中学生をレギュラーで使い続けたりもされました。私も今、「この人には将来、教会でこの荷を担ってほしい、こういう働きをしてほしい」と思い描きながら、時には主任牧師とビジョンを語らいながら、コーチの任にあたっています。 伝えるべき信仰とは何なのか?を具体的に示し続ける営みが教会、家庭に必要であることを感じています。
 私よりも先に結婚生活、家庭生活に入った2人の同級生がいます。私が独身の時、1人は「石井君、結婚は墓場だよ」と言いました。私はその言葉に心揺るがされました。けれどももう1人は、キリスト者であり、「石井君、結婚は神様からのプレゼントだよ。結婚生活は本当に感謝だよ」と私に言い続け、今でも主にあるクリスチャンホームを営んでいます。
 私たち夫婦も、慌ただしい毎日ではありますが、それでも主の導きは真実であることを証しつづける家庭を築いていこうと祈っております。

(仙台聖泉キリスト教会 会員)

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