同労者

キリスト教—信徒の志す—

Q&Aルーム

 信仰生活のこと、教理上の疑問など様々なことについて、誰かに聞いてみたいことがおきてくると思います。教会の先生に伺うことは勿論一番ですが、それを独り占めしないで、すこし公開してください。それを皆で考えると、きっと皆さんにとって益になると思います。送付先は巻末にあります。

<イエス・キリストの再臨>

先月の質問は、
 イエス・キリストのご再臨について考えましょう。
・・イエス・キリストの再臨について聖書が主張していることを述べて下さい。
でした。
回答例(作成者:野澤)
 また、R.A.トーレイが「聖書の教え」に整理した記述を参照させていただきます。

2.イエス・キリストの再臨の教理の重要性

(1) イエス・キリストの再臨に関する聖書の記事は、新約聖書の260章に318回語られている。平均すれば、マタイの福音書から黙示録まで25節に1回の割合で載せられていることになる。これが再臨が聖書の最重要事のひとつであることを示すものである。
 

(2) 旧約聖書中のキリストに関する預言の大部分は、主の再臨(とその後のできごと)についてであって、その数は新約聖書よりさらに多く記載されている。

(3) イエス・キリストの再臨は、神が私たちに、悲しんでいる聖徒を慰めるよう命じておられる教理である。

「主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。こういうわけですから、このことばをもって互いに慰め合いなさい。」(テサロニケI 4:16-18)
「『慰めよ。慰めよ。わたしの民を』とあなたがたの神は仰せられる。・・・シオンに良い知らせを伝える者よ。高い山に登れ。エルサレムに良い知らせを伝える者よ。力の限り声をあげよ。声をあげよ。恐れるな。ユダの町々に言え。『見よ。あなたがたの神を。』見よ。神である主は力をもって来られ、その御腕で統べ治める。見よ。その報いは主とともにあり、その報酬は主の前にある。」(イザヤ書 40:1、9-10)

(4) イエス・キリストの再臨と、それに関連するできごとは、真の信者の祝福された希望であり、熱心な欲求の対象である。聖書の最後の祈りは「アーメン。主イエスよ、来てください。」(黙示 22:20)である。

「祝福された望み、すなわち、大いなる神であり私たちの救い主であるキリスト・イエスの栄光ある現れを待ち望むようにと教えさとしたからです。」(テトス 2:13)
「このように、これらのものはみな、くずれ落ちるものだとすれば、あなたがたは、どれほど聖い生き方をする敬虔な人でなければならないことでしょう。そのようにして、神の日の来るのを待ち望み、その日の来るのを早めなければなりません。その日が来れば、そのために、天は燃えてくずれ、天の万象は焼け溶けてしまいます。しかし、私たちは、神の約束に従って、正義の住む新しい天と新しい地を待ち望んでいます。」(ペテロII  3:11-13)

(5) イエス・キリストの再臨の教理は、自己の欲情に従って歩む嘲る者たちの憎悪嘲笑の特別な的となるものである。

「まず第一に、次のことを知っておきなさい。終わりの日に、あざける者どもがやって来てあざけり、自分たちの欲望に従って生活し、次のように言うでしょう。『キリストの来臨の約束はどこにあるのか。父祖たちが眠った時からこのかた、何事も創造の初めからのままではないか。』」(ペテロII 3:3-4)

<今月の質問>

イエス・キリストのご再臨について考えましょう。
・・イエス・キリストの再臨について聖書が主張していることを述べて下さい。

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