同労者

キリスト教—信徒の志す—

人物伝

- 山本岩次郎牧師の思い出(13) -

秋山 光雄

第2部  荒川教会週報抜粋集(つづき)

【1954(昭和29)年12月26日】病る姉を訪ねて

 茨城県の鹿島灘の近く、療養所に病む坂本姉を訪ねる為18日の早朝5:30分に家を出ました。今冬レコードの寒さ一面に淡雪の様に霜が降りる中、暖房設備のない京成電車に1:40分、成田で国鉄に乗りかえの為40分待合わせ、がたがたふるえる体を漸く汽車の暖房に暖められ佐原着、又バスに乗りかえの為、50分待合わせ1:15分バスでゆられて終着鹿島に到着。それより徒歩1里、小松林を行く。朝食をとる間もなく唯一人病む愛姉の側へ心は走せて、姉の通った路を懐かしみつつようやくにして療養所に着いたのは11時に15分前であった。途中の景色も目に入らず前夜1時過ぎやすんだ寝不足も忘れてひたすら不案内の地を寒さにふるえつつたどりついたしゅん間、丁度お見舞いにお父さんを送って出た姉とばったりお目にかかり「まあ先生」と叫んで大粒の涙をハラハラと流したのを見た時さながら都電か歩いてでも来られる所から来たかの如く、疲れも、さむさも忘れて懐かしい見なれた顔、聞きなれた声、違ふのは周囲の様子のみ。
 早速教会員の愛の寄書を出しメリークリスマスのカード、心を込めて買い集めた品々を差出せば又してもぽとりぽとりと涙。早天の祈り、集会ごとの祈り、個人個人の祈りをお伝えすれば、お父様までポケットから手ぬぐいを出して顔をふく有様に私も共にキリストに在る不思議な愛の交わりに地上最大の尊いものを見て感激を致しました。
 逢ひたい思ひ、その労苦から思えば何と短い面接でありませう。12時3人で昼食の祈りをささげ又しても涙をふくお二方と食事を共にし、つきぬ名残りに去り兼ねて立つくす姉に万感込めて手をふりつつ12時半出発。お父様と一里の道を歩み又バスを1時間程待合わせ、途中でお父さまと別れ又しても不便な道を守られ帰宅しましたのは10時過ぎでありました。姉の健康は入療後順調で毎日目のも増し来春2月大手術を受ける準備中の由、更に感謝を捧げつつ祈りませう。(山本ワカ記)

 (以下次号)

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