同労者

キリスト教—信徒の志す—

ショートコラムねだ

— ゴミ出しの効果を考える —

ゴミ出し?そうあれです。家庭のゴミを出す。筆者のところでは、ただいま、月曜日がプラゴミ、水曜と土曜が燃えるゴミ、金曜日がビン・カン・ペットの資源ゴミである。他に紙類を月に2回回収してくれる。こちらは回収に来る前にリサイクル業者が、めぼしいものを持って行ってしまうトラブルもある。
 さて次に効果?って何を考えとるのか?そりゃ当たり前、じゃまなゴミがなくなって効果がでているではないか。
 それはさておき、ふと思いついたことがある。それは、ゴミ出しが1週間のリズムをつくっていることである。
 人は1日、1週間、1ヶ月、1年という区切りで暮らす。神がそれをよしとし、積極的にそれを人間の世界にもたらされたように感じる。
 1週間について考えると、今日は何曜日だからこれをする、というものがあって、それが生活のリズムとなる。ゴミ出しはそのリズムを積極的につくり出すもののひとつだと感じられる。ゴミを出さないと、たちまちたまり、悪臭を放つようになる。そのため、ゴミに使われているようだが、それをすることになる。そうして、1週間の生活リズムがはっきりする。
 もし他のことでも何かをしようと思ったら、生活のリズムの中にそれを組み込んでおかなければならない。そうでないと、きっとそれができなくなる。キリスト者にとって、最重要問題のひとつである集会出席もご多分に漏れない。一週間の生活のリズムに集会出席の時間を入れておかなければ、無理。世の中、それだけ忙しく、やらなければならないことがたくさんあるのだ。今日はこの大事な仕事をしなければならないから、来週、集会に出席しよう、といったら来週も大事な仕事がその時間にはいっているだろう。人はその時そのときの状況で、神の前に集会よりももっと大切なこともあるだろうから、杓子定規に集会出席っと叫んでいるのではないが。
 1週間の生活のリズムを積極的につくり、外乱すなわちそのリズムを崩すものごとをできるだけその時間帯からはずして、ほかの時間帯にすることが大切である。
 ゴミ出しが教訓であるかも知れない。

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