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質問してみよう「聖書を学ぶ会」—24

 2月、寒さ厳しい中も変わらず多くの方々が「聖書を学ぶ会」に集われました。また、新しい方も加えられましたことを感謝いたします。

 申命記31章が開かれました。イスラエルはヨセフのゆえにエジプトで大きな民となり、また、約束の地カナンに国を設けなければならなかった。神が命じられることを、きちんと守ることを通して平安が与えられ、神を信じることを通して整えられていく。信仰ではなく自分たちが成したと思っていると傲慢になり、それは年齢を重ねていくと思い知らされていく。神がモーセに書きしるせと命じられた歌、それは手法で、何とかしてイスラエルにこの大切なことを教えようとされた。モーセほど忍耐強く民を導いた人はいなかった。神は人の営みをご存知で、豊かな憐れみと恵みを持って導いておられる。私たちが自分のものにしていけるかどうかで、その後の人生が変わっていく。と語られました。

 今回の質問は石井さち子姉からです。ルカの福音書10章4節「財布も旅行袋も持たず、くつもはかずに行きなさい。だれにも、道であいさつしてはいけません。」とありますが、だれにも道であいさつしてはいけないというのはどういうことなのでしょうかと質問がなされました。
それは人に媚びない。行った先々で必要なものを、受ける側が差し出して当然のもの。携えているものは、それほどのもの、いのちのことば、神のことばなので堂々としていいもの。また、神のことばを扱っているので恐れを持って語っていかなければならない。親が子供にきちんと教えていかなければならない。それが宗教教育。究極、神はへりくだって人を愛している。長という人は、神の側で同じような態度を持って家族や隣人を愛していかなければならない。イエス・キリストは決して媚びてはいない。子供たちにあなた方が持っているものは、とても素晴らしいものということを教えていかなければならない。神が私たちに与えて下さったものはそのようなもの。と語って下さいました。

 神が与えて下さった福音に共に仕えさせていただきたく願います。

(執筆担当 茂永 和子  仙台聖泉キリスト教会会員)

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