同労者

キリスト教—信徒の志す—

聖書研究

— 万人祭司・万人予言者・万人王(第87回) —

野澤 睦雄

・・クリスチャンはみな預言者である。みな祭司である。また王である。キリストにあって、神は私たちを一体とし、そして王位に着けられた。
・・ C.E.ジェファソン(「教会の建設」から引用)

3. 新約における三つの職務の考察(つづき)
3.3新約の王(つづき)

 私の教会の牧師は、信者である若者たちの就職に積極的に関わっています。
 もうずっと前のことになりましたが、東北大学教育学部を卒業しようとしていた兄弟がいました。彼はこの教会に出席しつづけることができるところに就職したかったのですが、ほどよい就職先がありませんでした。公立学校の教師に応募する道がありましたが、公立学校の先生になると、数年ごとに必ず転勤があって、宮城県内どこにでもいかなければならないという問題がありました。
 教会の役員の知人が、ある私立学校の理事をしていると聞いて、牧師はその役員を通じその理事に彼のその学校の教員としての採用を依頼しました。その結果彼はその私立学校の教師となることができ、人事異動の心配をせずに過ごすことができました。
 牧師が直接関与しなくても、周辺の事情を聞いて、その就職を牧師が一緒に喜び、祝福できることが大切です。
 牧師が信者の就職にまったく関与しない教会があることを見聞きします。それは、その就職が、その信者にどのような影響を及ぼすか考えていないのです。何でもOKで、結果だけを聞き、祝福を祈るのです。
前出の兄弟が、公立学校の教師になったら、早晩転勤で他所の地に引っ越していったでしょう。それはその兄弟の信仰に悪影響を与えたことでしょう。就職先が企業であったら、企業には風土があって、信仰生活に影響を及ぼします。ですから、それは就職してみなければ分からない領域ですから、就職した後に、その信者に状況を聞いて判断を加えなければなりません。もし、信仰生活に決定的な問題を与えるようなことがあったら、何か対応を考えなければなりません。転職できるならそれもいいでしょう。
 すべては<信仰生活がどうなるか>、という視点で判断されます。もし、お金が儲かるから、社会的地位が上がるから、・・といったものにそこに勤めている理由が置き換えられたら、それは悲しむべき事です。
牧師はその見張り役に任命されている<王>です。

(以下次号)
(仙台聖泉キリスト教会員)

Valid XHTML 1.0 Strict