同労者

キリスト教—信徒の志す—

わかふうふ、わかもん、いっしょに学ぼっ!

— 主よ。私は信じます。 —

haruka-san

齊藤 遥



「その人は答えた。『主よ。その方はどなたでしょうか。私がその方を信じることが出来ますように。』」 (ヨハネ 9:36)

 私達の教会では3カ月に一度自らの記念を覚えて賛美を持って感謝する集会が持たれます。今月は10~12月の記念のある方が対象でしたので、私たち家庭も多くの記念を覚え神様に感謝の賛美をさせていただきました。その際に救いときよめのお証をさせていただきましたので、今回はそのお証と娘の誕生日を覚えお証させていただきます。

 私の救いの記念日は12年前の3月30日(木)です。私の罪は心に二面性を抱えていたことです。
人に対して裏表があり様々な手を使っては平気で多くの人を欺き傷つける者でした。
一例をあげるなら教会の先生や兄姉の悪口、教会の友を自らの不注意でけがをさせ物を壊しても自分が悪くないように嘘をつき母に対しても常に反抗的で喧嘩の絶えない日々でした。
特に高校進学の際には、キリスト教系の高校に進学する為に祈ってくださいと皆様の前にお願いしたにも関わらず私の願っている道ではないと真面目に取り組みませんでした。受験勉強の為に教会の中で場所と時間を用意して頂いた時も試験のアドバイスをくださった姉妹や経済を支えてくれた祖母や母に対しても祈ってくださる多くの兄姉の前で偽っていた者でありました。合否確認も祈祷会前に時間をくださった山本嘉納先生と見に出かけました。
不合格した私を嘉納先生は心から慰めてくださいましたが私は何も思わずしかし牧師の前でも平然と偽っていました。
当時多くの兄姉の罪と救いの証の中に語られる目に見える行為こそが罪なんだと勝手に認識してそういう行為を避け、たとえそういう行為をしてもすぐに元に戻せばよいと安易に考え私自身の行いは罪として認識していませんでした。
そのような中救いの経験に与るきっかけになったのは、兄から当時なかなか手に入らない東京での野球観戦チケットが手に入ったということで出かけたことでした。実はその日火曜日は聖書を学ぶ会でしたが休みました。なんとなく集会の時間が近づくにつれ集会のことが頭から離れずにいました。仙台へ帰る夜行バスの中で婦人伝道師である山本盡子先生から心配のメールがありました。私は兄と東京に出かけたとはいえず「友人と約束がありお休みしました」と嘘をつきました。
盡子先生は「あなたの教会に対する気持ちはそういうものですか?私はとても悲しいです。」と返信をくださったように記憶しています。
いつもならば何も思いませんが、まるで神様にパーンと突き放されたような感覚になり悲しくとても孤独になりました。
私の行い続けている事は本当に恐ろしく罪深い事だと示された瞬間でもありましたが心は頑なで神をすぐに受け入れられない罪の根深さの故に悔い改めようという気持ちになれませんでした。
しかし、2日後の祈祷会が迫る中、神様はもう一度私に罪人として向き合う時間を与えてくださいました。
私はそのことを受け入れ祈祷会後に盡子先生に謝罪した際に「あなたは神様を信じますか?」という問いかけに真心から返事をする事が出来ました。その夜嘉納先生の前に罪の告白をさせていただきました。
しかしその際も恥ずかしさや思い煩いから全ての罪や問題を告白することが出来ませんでした。
そのまま年月がたち社会人になった私もクリスチャンホームを願って盡子先生と月に一度の結婚カウンセリング(個人面談)を受けていました。
そのような中礼拝や諸集会またその時期に多くの若い兄姉が罪を告白し救いの恵みにあずかる中、私も自分の中に残っている罪や問題に向き合う時間が与えられました。特に長い間抱えていた罪・問題は男女の問題、特に男性に対する考え方や性の問題でありました。
私はこの事を抱えたまま結婚するには相応しくないと思いもう一度嘉納先生とお話しさせて頂き悔い改めを持って祈っていただきました。
私は恥ずかしさの故にこの事に向き合い取り組む事が遅かったのですが盡子先生は「悔い改めに遅いことはないのです」と罪を告白し悔い改め続ける事の大切さをもう一度教えてくださり祈ってくださいました。
当時この事を11月のお証の際に告白した際もう一度兄姉から励まされその時私は気がつきませんでしたが和子先生を通して光明先生がきよめの証として捉えてくださり盡子先生も同じように捉えてくださり主人との婚約をお勧めしてくださいました。
しかし私の心は頑なで様々な心配事から思い悩み不信仰なままに主人を1週間も待たせてしまいました。主人はそれでも信仰をもってこのような私を受け入れてくれて今とても幸いな日々を与えられ感謝致します。救われても尚自らの罪の根と向き合い続け神様の前に告白し悔い改める事は正直苦しく勇気が必要な時もありましたがそれでも神様は乗り越える力を与えてくださり救ってくださいました。

先に書いたみことばは私の救いの御言葉ですが救いの御言葉としてあまり開かれないみことばなのでなぜこの所が私の救いの御言葉なのかと嘉納先生に質問したことがありました。私は神に対しても罪に対しても盲目であったことが示されました。それでも私がこの地上で命を与えられた時から神様は共に歩んでくださり本当に感謝致します。

 今私は神様の導きのもとに家庭が与えられ昨年娘の顕(あき)が与えられました。
10月31日に1歳になった娘は多くの成長が与えられました。食べることが大好きで変わらずにお風呂が大好きで誕生日目前にして歩けるようになり何事にも興味を示してはいたずらをして周りの人をハラハラさせますがそのような娘も教会生活の中でたくさんの方々の愛と関わりを通して神様の存在を少しずつ認識出来るようになった一年であったと思います。
生まれたばかりは右も左もわからないような中にありましたが諸集会や家庭集会を通して神様から預けられた魂として扱っていくことをしめされ夫婦で取り組むことを第一に周りの方々にも協力を頂きながら時に厳しく時に喜び悲しみを共にしながら信仰と愛を持って娘と関わってきました。私達夫婦がイエス・キリストの十字架の血潮によって救って頂いたように娘の上にも救いの道に加えて頂けるように大切に育んでいきたく願います。

「アブラムが九十九歳になったとき主はアブラムに現われ、こう仰せられた。
『わたしは全能の神である。あなたはわたしの前を歩み、全き者であれ。』」
創世記17章1節(娘の命名箇所)

(仙台聖泉キリスト教会 会員)