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キリスト教—信徒の志す—

聖書研究

— 罪について(18)—

野澤 睦雄


「また言われた。『人から出るもの、これが、人を汚すのです。 内側から、すなわち、人の心から出て来るものは、・・・、貪欲、・・・。 これらの悪はみな、内側から出て、人を汚すのです。』」(マルコ 7:20-23)

<2.各論>
(3)貪り <1>


 次に「貪欲」について考察しましょう。
 十戒の最後の項目は、新改訳聖書では、「・・・あなたの隣人のものを、欲しがってはならない。」と訳されていますが、文語訳聖書では、「汝、貪るなかれ。」と訳されていました。
 貪るということは、自分の所有を増やしたいとういう欲望です。十戒に書かれている対象は、「隣人の家」「隣人の妻」、「男奴隷」、「女奴隷」、「牛」、「ろば」、「すべてあなたの隣人のもの」となっています。

 現今の人々は何を欲しがるでしょうか。それは身近なものが対象となりやすいものです。
 私は田舎育ちですが、父の家の隣に住んでいた人は、地境の印である杭を引き抜いて地境を分からなくし、境界の土地を横取りしようとしました。父はお人好しで、かなりぶんどられた様子でした。昔作られた土地の図面は、実測値より小さく記載されていることを知らなかったためです。

 知り合いの農家の奥さんが母にこう言ってこぼしていました。「隣の○○さん、には閉口する。隣同士境界を接して畑を耕しているのだが、境界を人が歩く分を残さざるをえない。ところが翌年になるとその歩く分の土地を自分の方に耕してしまって、毎年すこしずつ土地を取られる」と。

 貪欲の反対に、よい方のことでなく、おなじ望ましくない行為に、「けち(吝、吝嗇)」ということがあります。
これは獲得したいの反対側の、獲得したものを人に分かち与えたくないということで、貪欲とけちは一体といってもいいでしょう。

 イエスの語られた例話を考えましょう。「ある金持ちがいた。いつも紫の衣や細布を着て、毎日ぜいたくに遊び暮らしていた。ところが、その門前にラザロという全身おできの貧しい人が寝ていて、 金持ちの食卓から落ちる物で腹を満たしたいと思っていた。犬もやって来ては、彼のおできをなめていた。・・・」(ルカ 16:19-31)
 神がこの金持ちを怒られたことは明らかです。

 「貪欲」、それは私たちがあまり罪悪感を持たずに陥りやすい罪です。神に光を与えていただき、貪欲に陥らないようにしましょう。

(仙台聖泉キリスト教会員)