同労者

キリスト教—信徒の志す—

わかふうふ、わかもん、いっしょに学ぼっ!

— 神の御訓練 —

keiiti-san

齋藤 恵一



「自分の父をのろい、自分の母を祝福しない世代。自分をきよいと見、汚れを洗わない世代。なんとも、その目が高く、まぶたが上がっている世代。歯が剣のようで、きばが刀のような世代。彼らは地の苦しむ者を、人のうちの貧しい者を食い尽くす。」(箴言 30:11-14)

 私が救いの恵みに与ってから28年が経ちます。その間、教会から離れていた時期もありました。しかし、神の憐れみによって、教会に戻ることができ、結婚が与えられ、子供が与えられ、また、父母と共に住む家が与えられ、ここまで導かれました。
 私自身は、家長としての責任を負う者として立っていますが、実態は、責任を担う者とは懸け離れた生活をしております。
 家庭では、子供達との時間を大切にしなくてはいけないのですが、自分のことを優先してしまい、その与えられた時間を有効に使えていない現実があります。また同居生活をするようになって、なかなか父親と合わない部分があります。その父も同居するということで、それまで住んでいた家を手放さなければならない決断を強いられて、なかなか納得できない部分もあり、同居当時は、私とぶつかることが多くありました。
 父と私のやり取りを客観的に見て、私自身の勝手な思いで押しつけている部分がおおくあると気付かされました。私自身が変わっていかなければいけないことを思わされます。
 私は独身の時、身勝手なことばかりして教会から離れていました。父は放浪している私のことを探し出して、教会に戻るように説得し続けてくれました。今、それに対する償いをしていかなければいけないと思います。ですから父と合わない部分も私が折れて、父がやりやすいようにしてあげることを、すこしづつではありますが取り組もうと思います。
 今、教会の若い兄弟姉妹達は、山本嘉納先生の弟子として一番そば近く、共に歩んでいます。その姿を見て私自身も先生の弟子であることを心に留めながら、先生の家族を目標とさせていただき、祈りつつ取り組んでいきたいと思います。

「あなたがたが多くの実を結び、わたしの弟子となることによって、わたしの父は栄光をお受けになるのです。」(ヨハネ 15:8)

(仙台聖泉キリスト教会 会員)