同労者

キリスト教—信徒の志す—

わかふうふ、わかもん、いっしょに学ぼっ!

— 信仰に富める者であること —

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茂永 進



「このようにして労苦して弱い者を助けなければならないこと、また、主イェスご自身が、「受けるよりも与えるほうが幸いである」と言われたみことばを思い出すべきことを、私は、万事につけ、あなたがたに示してきたのです。」(使徒 20:35)

 正直なところ、私は元来、けちな性格です。幼いころより損得勘定の価値観を持ちながら、自分の利得を追い求める者でした。教会生活において、思い起こされる代表的な出来事として、私が学生の時に教会行事でスキーに行く機会がありました。私は家からお菓子を持ってきていました。山本光明牧師の車に乗せて頂いていながら、十分におすそ分け出来るくらい持って来ていたのに、自分だけ食べて平然としてしまいました。その後、光明牧師よりその姿勢に対してご指導頂き、その後、高校2年生の時に救いの恵みに預かりましたが、けちな性根は残り続けました。それは、神に自分をお奉げすること、ご奉仕や献金においても現れていたと振り返ります。

 私にとって大きな価値観の転機が与えられたのは、家内との結婚を通してでした。冒頭のみことばは、家内と結婚するときに家内の母教会の牧師婦人より語られたものです。すぐに私の心に響いたわけではありませんでしたが、長い年月をかけてこのみことばの素晴らしさをかみしめる者に変えて頂きました。

 まず、家内の神に対する姿勢が私とは大きく違いました。奉仕や献金に対して、損得勘定で行うことはありませんでしたし、神に対して十分の一を奉げることは当然の事であり、それ以上を奉げることを常としていました。私は十分の一を奉げることが大変なことであると思っていたので大きな驚きでした。家内の実践を共にしていくうちに確実に私たちの家庭は祝されてきていることに気づかされました。当時、未信者だった義母が毎月たくさんの野菜や果物を送ってきてくれました。私たちにだけではなく、教会に対しても送り続けてくれました。義母はたった一人の孫である娘の事を本当に愛してくれました。娘が出演するコンサートやクリスマスの劇など、自分の身を惜しむことなく教会から約60キロ離れた自宅から車を運転し、高速バスに乗り駆けつけてくれました。私たちが経済的に苦しい時には何くれとなく助けてくれました。私が今の事業を続けてくることが出来たのも開業当初に義母に支えがあったからこそです。そして、義母は地上での生涯を終える前に神を信じ、天に召されていきました。

 神の恵みを私は心から体験させて頂きながら、損得勘定だけで生きている自分が本当に恥ずかしく思いました。私も積極的に与える者になっていかなければならないと思うようなったとき、教会の中で、私に様々な実践する機会が与えられていきました。

 いよいよ、私たちの教会も新しい教会を建てていくビジョンが実践されていきます。神の前に一人一人が挑戦させて頂くことになりますが、私もその一端を積極的に担い神の真の祝福を勝ち取って、信仰に富む者にさせて頂きたく願います。



(仙台聖泉キリスト教会 会員)