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キリスト教—信徒の志す—

聖書研究

— 罪について(30)—

野澤 睦雄


「ところがザアカイは立って、主に言った。「主よ。ご覧ください。私の財産の半分を貧しい人たちに施します。また、だれからでも、私がだまし取った物は、四倍にして返します。」 (ルカ 19:8)

<2.各論>
(4)盗み <5>


 出エジプト記20章に、モーセが神に与えられた十戒の記載があり、それに続く22章に、盗んだ場合の償いの規定が書かれています。「牛とか羊を盗み、これを殺したり、これを売ったりした場合、牛一頭を牛五頭で、羊一頭を羊四頭で償わなければならない。」(出エジプト記 22:1)
「もし盗んだ物が、牛でも、ろばでも、羊でも、生きたままで彼の手の中にあるのが確かに見つかったなら、それを二倍にして償わなければならない。」(出エジプト記 22:4)
「金銭あるいは物品を、保管のために隣人に預け、それがその人の家から盗まれた場合、もし、その盗人が見つかったなら、盗人はそれを二倍にして償わなければならない。」(出エジプト記 22:7)
「すべての横領事件に際し、・・・神が罪に定めた者は、それを二倍にして相手に償わなければならない。」(出エジプト記 22:9)

 以上の規定から、盗んだ現品が手元にあれば二倍にして返す、手元になければ四倍にして返すということでしょう。牛は特別で、五倍にして返さなければいけませんでした。
 ザーカイは、それを自分に当てはめて、「四倍にして返します。」と言ったのでしょう。
 私たちが謝りにいくとき、二倍、四倍のものを持って行くという感覚はなさそうです。

 単純な盗みではなく、もうちょっとずる賢い方法が普通に行われていたようです。それは箴言にこう記されている方法です。「異なる二種類のおもり、異なる二種類の枡、そのどちらも主に忌みきらわれる。」(箴言 20:10)
日本ではもうほとんど見かけなくなりましたが、中東や中国の奥地などのテレビで見る光景に時々出てくる、メモリの刻んである棒を吊し、一方の端に羊の毛とか農産物など、はかるものをぶら下げ、反対側に錘をぶら下げ、釣り合う位置で、はかりるものの目方を決める「天秤ばかり」があります。問題はそれに使うおもりです。
「異なる二種類のおもり」とは、表示が同じで実際は重いおもりと軽いおもりを使っているということです。
 買い取るときには重いおもりを使って真実の目方より重い量のものを買い、売るときには軽いおもりをつかって、真実の目方より軽いものを売る、というわけです。
 これはやはり詐欺の類いです。
 今日本では、詐欺の被害がたくさんあって大問題となっていますが、ザーカイが言った「だまし取る」ことです。

「欺きのはかりは主に忌みきらわれる。  正しいおもりは主に喜ばれる。」(箴言11:1)

はかるものは、「物」だけではありません。 何をはかるにも「正しいおもり」ではかって、主に喜ばれるものでありましょう。

(仙台聖泉キリスト教会員)