同労者

キリスト教—信徒の志す—

聖書研究

— 罪について(28)—

野澤 睦雄


「盗んではならない。」(出エジプト記 20:15)

<2.各論>
(4)盗み <3>


 盗むということは、人類のはじめから、最も行われやすい罪のひとつであったろうと思われますが、盗むということばが聖書に登場するのは、ヤコブとラバンの会話がはじめてです。
「後になってあなたが、私の報酬を見に来られたとき、私の正しさがあなたに証明されますように。やぎの中に、ぶち毛やまだら毛でないものや、羊の中で、黒毛でないものがあれば、それはみな、私が盗んだものとなるのです。」(創世記 30:33)
 盗んだことが聖書に記録された最初の人物はラケルです。
「ヤコブは立って、彼の子たち、妻たちをらくだに乗せ、また、すべての家畜と、彼が得たすべての財産、彼がパダン・アラムで自分自身のものとした家畜を追って、カナンの地にいる父イサクのところへ出かけた。そのとき、ラバンは自分の羊の毛を刈るために出ていたので、ラケルは父の所有のテラフィムを盗み出した。」(創世記 31:17-18)
彼女の罪は露見せずに時が経ちました。後に、シメオンとレビがシェケムの男を皆殺しにし、その地の住民の財産を奪い、女、子どもを奴隷として虜にした事件を引き起こしたので、ヤコブは近隣の人々の怒りを買い、自分たちが皆殺しにされることを恐れなければなりませんでした。そのとき神は助けを出されて、
「神はヤコブに仰せられた。「立ってベテルに上り、そこに住みなさい。そしてそこに、あなたが兄エサウからのがれていたとき、あなたに現れた神のために祭壇を築きなさい。」(創世記 35:1)
と言われました。そして、ヤコブの一族がベテルへと旅だったとき、
「彼らが旅立つと、神からの恐怖が回りの町々に下ったので、彼らはヤコブの子らのあとを追わなかった。」(創世記 35:5)
 ヤコブはベテルに旅立つとき、家族にこう命令しました。
「それでヤコブは自分の家族と、自分といっしょにいるすべての者とに言った。「あなたがたの中にある異国の神々を取り除き、身をきよめ、着物を着替えなさい。そうして私たちは立って、ベテルに上って行こう。私はそこで、私の苦難の日に私に答え、私の歩いた道に、いつも私とともにおられた神に祭壇を築こう。」彼らは手にしていたすべての異国の神々と、耳につけていた耳輪とをヤコブに渡した。それでヤコブはそれらをシェケムの近くにある樫の木の下に隠した。」(創世記 35:2-3)
 ラケルが父ラバンから盗んだものはテラフィムで偶像でした。ヤコブが家族に捨てさせる必要があった偶像を、彼の最愛の妻ラケルが持っていました。
ヤコブの子らがもっていた偶像のほかに、耳輪にも偶像が彫られていたか、あるいは偶像に由来するものであったのでそれを捨てたのでしょう。
 それは金製品、銀製品のような金目のものであったと推測できます。
ヤコブの子らはシェケムに行って羊を飼いました。ヤコブがヨセフを使いに出したとき、
「その後、兄たちはシェケムで父の羊の群れを飼うために出かけて行った。それで、イスラエルはヨセフに言った。「おまえの兄さんたちはシェケムで群れを飼っている。さあ、あの人たちのところに使いに行ってもらいたい。」すると答えた。「はい。まいります。」また言った。「さあ、行って兄さんたちや、羊の群れが無事であるかを見て、そのことを私に知らせに帰って来ておくれ。」こうして彼をヘブロンの谷から使いにやった。それで彼はシェケムに行った。」(創世記 37:12-14)
 ヤコブの子らがなぜベテルには行きたがらないでシェケムに行きたがったか、「シェケムの近くの樫の木の下」に彼らを引きつけるものがあったからだろうと思われます。父の目も届きませんから、密かに掘り出してまた持っていたかもしれません。
 ラケルが父のテラフィムを盗んだことがどのように影響しているのかは分かりません。しかし、影響がなかったと言えるでしょうか。
罪というものは、思わぬところに悲しい結果を生むものです。

(仙台聖泉キリスト教会員)