同労者

キリスト教—信徒の志す—

聖書研究

— 罪について(19)—

野澤 睦雄


「どんな貪欲にも注意して、よく警戒しなさい。なぜなら、いくら豊かな人でも、その人のいのちは財産にあるのではないからです。」(マタイ 12:15))

<2.各論>
(3)貪欲 <2>


 「貪欲」ということばを念頭に置いて聖書を読んでみるなら、いかに多くの実例が書かれているか分かります。聖書は神について書かれていますが、同時に人間について、そしてサタンについても、書かれています。人間は「貪欲」のかたまりだと表現してもよいくらいです。
 今回はヨシュア記に書かれているアカンという人物について考えましょう。イスラエルの人々がヨシュアに率いられてカナンの地に入り最初に戦ったエリコを攻め取った後の記事です。
「しかしイスラエルの子らは、聖絶のもののことで不信の罪を犯し、ユダ部族のゼラフの子ザブディの子であるカルミの子アカンが、聖絶のもののいくらかを取った。そこで、主の怒りはイスラエル人に向かって燃え上がった。
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(文が長いので省略しますが、聖書を開いて読んで下さい。)
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そこで、ヨシュアはアカンに言った。「わが子よ。イスラエルの神、主に栄光を帰し、主に告白しなさい。あなたが何をしたのか私に告げなさい。私に隠してはいけない。」アカンはヨシュアに答えて言った。「ほんとうに、私はイスラエルの神、主に対して罪を犯しました。私は次のようなことをいたしました。私は、分捕り物の中に、シヌアルの美しい外套一枚と、銀二百シェケルと、目方五十シェケルの金の延べ棒一本があるのを見て、欲しくなり、それらを取りました。それらは今、私の天幕の中の地に隠してあり、銀はその下にあります。」そこで、ヨシュアが使いたちを遣わした。彼らは天幕に走って行った。そして、見よ、それらが彼の天幕に隠してあって、銀はその下にあった。彼らは、それらを天幕の中から取り出して、ヨシュアと全イスラエル人のところに持って来た。彼らは、それらを主の前に置いた。ヨシュアは全イスラエルとともに、ゼラフの子アカンと、銀や、外套、金の延べ棒、および彼の息子、娘、牛、ろば、羊、天幕、それに、彼の所有物全部を取って、アコルの谷へ連れて行った。そこでヨシュアは言った。「なぜあなたは私たちにわざわいをもたらしたのか。主は、きょう、あなたにわざわいをもたらされる。」全イスラエルは彼を石で打ち殺し、彼らのものを火で焼き、それらに石を投げつけた。こうして彼らは、アカンの上に、大きな、石くれの山を積み上げた。今日もそのままである。そこで、主は燃える怒りをやめられた。そういうわけで、その所の名は、アコルの谷と呼ばれた。今日もそうである。」(ヨシュア記 7:1-26)

 「・・を見て、欲しくなり、それらを取りました。」
「欲しくなった」ことがなんと大きな結果を生んでしまったことでしょう。
直接死んだ人は36人の戦死者、自分と家族全員が記されていますが、民族全体が滅びる事態でした。

 先に「ねたみ」について考えましたが、「貪欲」が引き金となって人を妬むようになるのです。
 戦争が世界に悲劇を生んでいますが、その根底に人の「貪欲」があることは明らかです。普通の世の中のできごとも「貪欲」がもととなって多くの犯罪がおきています。

何かが「欲しくなったとき」アカンを思い出しましょう。

(仙台聖泉キリスト教会員)