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キリスト教—信徒の志す—

聖書研究

— 罪について(24)—

野澤 睦雄


「しかし、あなたには少しばかり非難すべきことがある。あなたのうちに、バラムの教えを奉じている人々がいる。バラムはバラクに教えて、イスラエルの人々の前に、つまずきの石を置き、偶像の神にささげた物を食べさせ、また不品行を行わせた。」(黙示録 2:14)
「ああ。彼らはカインの道を行き、利益のためにバラムの迷いに陥り、コラのようにそむいて滅びました。」(ユダ 11)
「彼らは正しい道を捨ててさまよっています。不義の報酬を愛したベオルの子バラムの道に従ったのです。しかし、バラムは自分の罪をとがめられました。ものを言うことのないろばが、人間の声でものを言い、この預言者の狂った振舞いをはばんだのです。」 (ペテロⅡ 2:15-16)
「わたしの民よ。思い起こせ。モアブの王バラクが何をたくらんだか。ベオルの子バラムが彼に何と答えたか。シティムからギルガルまでに何があったか。それは主の正しいみわざを知るためであった。」(ミカ 6:5)

<2.各論>
(3)貪欲 <7>


 今回はバラムという人物について考察しましょう。引用したみことばに「バラムの教え」、「バラムの迷い」、「預言者(バラム)の狂った振る舞い」、「(バラムの)たくらみ」と出てきます。
 バラムに関しては、民数記22章から24章に記されています。ユーフラテス河畔のペトルという町に住んでおり預言者と言われていて、神と語ることができる人物でした。バラムがまじないをすることもでてきますので、なぜ神がこういう人物と語られるのか不思議な感じがします。

モアブの王ツィポルの子バラクがバラムに自分の国のそばを通過して進んでいくイスラエル人を呪ってもらおうと思ったということから、彼は力のある人物として知れ渡っていたことがわかります。
 モアブの王の使者に、彼はこう答えています。「主が私に告げられたとおりのことをあなたがたに伝える」、「イスラエルを呪ってはいけない。使者たちと一緒に行ってはいけない。」と神はいっておられる、と。
 モアブの王は諦めず、また使者を使わします。聖書記者たちはバラムの思いを解説してこういいます。「利益のために」「不義の報酬を愛して」行動したと。主が告げられる通り、というのは立前で本音は報酬が欲しくてしかたがないのでした。ですから、バラムはまた主に伺って見ましょうといいます。その時の神のバラムについてのお取り扱いが興味深いのです。神はでは一緒に行け、といわれました。しかしバラムが使者とでかけたところ、「主の怒りが燃え上がり」この世にただ1回だけ起きた事件が起こりました。
ペテロが「ものをいうことのないロバが人間の声でものをいい」と述べていることです。民数記22章22節から33節まで読んでください。
バラムは恐れて、神の示されるとおりをイスラエルを祝福することを、バラクに告げます。
そのとき更に神はバラムに重要な予言をさせます。

「 バラムはバラクに言った。「私はあなたがよこされた使者たちにこう言ったではありませんか。たとい、バラクが私に銀や金の満ちた彼の家をくれても、主のことばにそむいては、善でも悪でも、私の心のままにすることはできません。主が告げられること、それを私は告げなければなりません。』今、私は私の民のところに帰ります。さあ、私は、この民が後の日にあなたの民に行おうとしていることをあなたのために申し上げましょう。」 そして彼のことわざを唱えて言った。「ベオルの子バラムの告げたことば。目のひらけた者の告げたことば。 神の御告げを聞く者、いと高き方の知識を知る者、全能者の幻を見る者、ひれ伏して、目のおおいを除かれた者の告げたことば。 私は見る。しかし今ではない。私は見つめる。しかし間近ではない。ヤコブから一つの星が上り、イスラエルから一本の杖が起こり、モアブのこめかみと、すべての騒ぎ立つ者の脳天を打ち砕く。・・・」(民数記 24:13-17)

 バラムとバラクは別れてそれぞれ国に帰りますが、民数記の記事はそのあと、イスラエルの民がミデアン人、モアブ人の娘たちよって誘惑され、偶像礼拝をはじめる記事が続きます。直接書かれてはいませんが、背後にバラムがいて、イスラエルを陥れる策を授けたと思われています。

それが黙示録に「バラムはバラクに教えて、イスラエルの人々の前に、つまずきの石を置き、偶像の神にささげた物を食べさせ、また不品行を行わせた。」と書かれている理由です。
民数記では、モーセがそのことに言及しています。
「モーセは彼らに言った。「あなたがたは、女たちをみな、生かしておいたのか。 ああ、この女たちはバラムの事件のおり、ペオルの事件に関連してイスラエル人をそそのかして、主に対する不実を行わせた。それで神罰が主の会衆の上に下ったのだ。」(民数記 31:15-16)

 バラムのこころを支配したもの、それは「貪欲」でした。
 時が経って遠くからバラムの人生を眺めるので、私たちはそう理解できますが、普段の生活のなかで、バラムの教えを奉じるものとなりませんように。

(仙台聖泉キリスト教会員)