同労者

キリスト教—信徒の志す—

聖書研究

— 罪について(27)—

野澤 睦雄


「あなたがたは、正しくない者は神の国を相続できないことを、知らないのですか。だまされてはいけません。・・・ 盗む者、・・・はみな、神の国を相続することができません。」(コリントⅠ 6:9-10)

<2.各論>
(4)盗み <2>


 故山本岩次郎牧師がこういう話をしておられました。
「献身して牧師になる前、大工をしていた。あるお宅の建築の仕事をしたが、その時、建築主に断りなく端材を持ち帰って使った。それを思い出して、謝罪に行った。先方も『まあ、あなた、そんなもの気になさらないで下さい。』といって対応してくれたが、とにかく詫びて帰った。その話を説教でしたら、その説教を聞いた信者の幾人かが、そういえば自分も・・と雇い主や、関係する人のものを不当に使ったことを思い出して、謝罪に行った。」

 もう数年経ってしまいましたが、教会の青年たちが次々と救われた時がありました。
数人が「救われた後、万引きしていたので、その店に謝罪に行きました。」と告白していました。
私はそれを彼ら自身の信仰と、教会の信仰のために、大変喜んでいます。
前にも他のテーマで述べたことがありますが、日本の教会で救われた人々が、数年で教会からいなくなり、代わりにまた新しいひとが入ってくると言われています。その理由の一つが、救われても「人に謝罪しない」ことにあると思っています。


 人のこころは頑なで、神に「罪を犯しました。」といって悔い改めるよりも、「死んだ方がまし。」なくらいです。自分の非は認めたくないのです。それは誤った自尊心でしょうか? 傲慢でしょうか?
 それでも妙なもので、神に罪を犯しましたという方が、罪を犯した相手に謝罪にいくよりも楽です。そこには人がいません。


 皆さんに問いたい。
盗んでそのまま謝罪していないことがありませんか?
先に挙げた例のように、誰かのものを不当に使用してそのままにしていませんか?
自分の過去をずーっと振り返りましょう。そして、そういうものがある人は、こころの中で手を挙げてください。

手を挙げた方は、神にそれを告白し、キリストの血よる赦しを信じましょう。
そして損害をかけた相手に謝罪しましょう。
それが神の喜びなさる道です。

(仙台聖泉キリスト教会員)