同労者

キリスト教—信徒の志す—

聖書研究

— 罪について(26)—

野澤 睦雄


「まことに、まことに、あなたがたに告げます。羊の囲いに門から入らないで、ほかの所を乗り越えて来る者は、盗人で強盗です。」(ヨハネ 10:1)

<2.各論>
(4)盗み <1>


  モーセが神から頂いた十戒は、要約して述べると以下のようになります。

  1.わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。
2. 偶像を造ってはならない。
3. 主の御名を、みだりに唱えてはならない。
4. 安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。
5. あなたの父と母を敬え。
6. 殺してはならない。
7. 姦淫してはならない。
8. 盗んではならない。
9. 偽りの証言をしてはならない。
10. すべてあなたの隣人のものを、欲しがってはならない。

10 番目の掟は、文語訳聖書では「汝、貪るなかれ。」となっていました。前回までテーマとしたものです。
 旧約の律法だから死文となったなどと思わないでしょう。
子どもたちが小さいとき、明泉幼稚園という幼稚園に通いましたが、そこの園長はブローマンさんというアメリカ人でした。彼は私たち夫婦がクリスチャンであることを知っていて、こんなことを話していました。
アメリカに帰ったとき、ある教会で話すように頼まれたので、日本人が神社に参拝する様子をスライドで見せ、この人達は天国に行けますか?と質問した。一斉に行けないと返事が返ってきた。
それで、十戒を示し、では姦淫をしているひとはどうですか?と質問した。するとシーンと静まりかえって返事がなかった。
そして以後私の説教はノー・サンキューで二度と呼ばれることがなかったと。
そして、姦淫が行き渡ってしまっていて、それにふれることはタブーになってしまっているのですよ、といっていた。
イエスは姦淫をしなくても人殺しをしたら同じことだと引用されましたが、今回は「盗んでもおなじことだ」を考えましょう。

蛇足ですが、ほかの項目も意に介されていませんね。十戒を恐れないのですからまして他の項目を破ることなど朝飯前ということでしょう。

「また自分の身に入墨をしてはならない。わたしは主である。」(レビ記 19:28)

十誡に続く律法の中にこう書かれています。化粧品を塗る位の感覚で入れ墨をしているのをみると、神を恐れない人々!と思わざるを得ません。

(仙台聖泉キリスト教会員)