同労者

キリスト教—信徒の志す—

わかふうふ、わかもん、いっしょに学ぼっ!

— 娘との教会生活 —

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森田 惠真

(写真は、教会キャンプから)


「狭い門からはいりなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そして、そこからはいって行く者が多いのです。いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見いだす者はまれです。」(マタイ 7:13~14)
  昨年11月に娘が誕生し、生後半年を迎えました。このところまで、病気や怪我などもなく、成長が与えられていることに夫婦で感謝しております。
 娘と毎日接している中で、自分のことを両親がどのように育ててくれたのか、思い出されることが増えました。
両親は、私が小さい頃は夜に眠る前に聖書のおはなしが描いてある絵本を読んでくれたり、教会でたくさんの時間を過ごさせてくれたりしました。
母が病気になってからは、眠る前に必ず家族で祈る時を持っていました。
両親が私に信仰を持たせるためにしたことや、教会の中で愛されて育ったことは、私の中に今でも残っているものであることを感じます。

 私は学校で子どもたちと関わる仕事をしてきて、多くの素晴らしい先生と出会ってきました。
ただ優しいだけでも、ただ厳しいだけでもなく、子どもたちが目の前にある高いハードルを越えることができるよう指導していく先生を見て、私はこんな風にはできないな、と感じたこともありました。
 娘が、全幅の信頼を置いて自分のことを見上げてくる時に、私は神からこの存在を託されていることを感謝すると同時に、娘にとっての親は私たちしかいないのだと、その責任を感じます。

 主人と結婚し聖泉教会に導かれて、自分自身の教会生活のあり方を変えることに、始めの頃は難しさを覚えることが多くありました。
しかし、今こうやって娘と教会生活を過ごす中で、厳しさの中に身を置くということの意味が自分の中で変わってきたように思います。
 先日、家庭集会の中で山本嘉納先生にご相談させていただいたことがありました。
自分が親として足りないこと、一つひとつのことの意味をよく考えずに流してしまうことに対する恐れや、娘に信仰を継承していくことが本当にできるのかという不安をお話しました。
山本嘉納先生は私に、ご自身も若い時に不安を覚えたこと、しかし、だからこそあなたは子どもと片時も離れずにずっと一緒にいるのだと語ってくださいました。
また、家庭集会や日々の先生方との関わりの中で大切なことを教えてくださること、神がともにいてくださることを信じていくよう言葉をかけてくださいました。そのことは私にとって大きな励ましでした。

冒頭のみことばは、先日の礼拝で開かれた箇所です。私たちは神の摂理の細き道を行き、天の御国を奪い取るのだと嘉納先生は力強く語っておられました。
私たち夫婦の、信仰を継承していくための歩みは始まったばかりですが、神に一途に従っていこうと戦っていく時に、神が私たちの足りない部分に干渉し導きを与えてくださることを信じ、歩んでいきたいと願っています。

(仙台聖泉キリスト教会 会員)