同労者

キリスト教—信徒の志す—

わかふうふ、わかもん、いっしょに学ぼっ!

— 神の家族への想い —

tadasi-san

石井 和幸



「あなたがたはキリストのからだであって、ひとりひとりは各器官なのです。」 (コリントⅠ12:27)

 今年も私たちの教会では、月見岬ジレットハウスというところで3泊4日のサマーキャンプを行いました。
私たちの子どもたち2人も、昨年のサマーキャンプが終わった直後から「来年は全日程参加したい」という希望を持ち、今年その通りに教会の先生方、兄弟姉妹にお世話になりつつ、無事参加することが出来たことを大変感謝しています。
山本嘉納牧師、盡子婦人伝道師は、私たち夫婦が事前にサマーキャンプの話題を出すと、「子どもたちと四日間過ごすことを本当に楽しみにしていますよ!」と仰ってくださいました。
キャンプでは0歳児から年長者に至るまで4日間違う賜物を持った兄弟姉妹が神の家族としてともに仕え合って過ごしました。
食卓の笑顔、祈りと讃美の力強さ、神の家族として認め合って一致していた姿、私はこの姿こそ教会なのだと改めて教えられました。
もちろん、子どもたちは楽しいことばかりではなく、注意や是正が必要なときは先生方やお兄さん・お姉さんたちに都度教えていただくこともありました。
教会の営みとして、神の家族として、必要なことを強いるというよりも、愛と配慮をもって自然な秩序のなかで子どもたちと取り組んでいただいたことに私は深く感謝致しました。
 山本嘉納先生、盡子先生も「4日間という限られた期間だったけど、子どもたちとともに生活できて本当に感謝だった」と仰ってくださいました。
そこに私は先生方のサマーキャンプに対する想い、神の家族に対する想いを知り、感謝するのと同時に、自分はそれだけの想いをもって今まで教会生活と家庭生活をしていただろうか?と考えるときとなりました。
サマーキャンプが終わった直後、様々なところに出かけて行ったり、我が家に来客があったりしましたが、子どもたちの振舞いのなかに、サマーキャンプで得た恵み・経験が影響しているように見えました。となると、いよいよ親である自分は、この夏に見たことをどのように捉えてこれから生きるべきか、問われました。
   そんな中、8月18日の礼拝メッセージのなかで、創世記にあるヤコブの記事から、「父と母を敬いなさい、それをないがしろにしてどうして隣人への伝道が出来ますか?家庭が建てあがっていくでしょうか?」と語られました。自らと隣人との違い・・・夫婦間でさえ自分との違いがありますが、私はその違いに対して苛立ちを覚えたり、(どうして一致できないのだろう)と勝手に悲しく感じてしまったりというところが多くありました。食卓の会話のなかでもそういったことが多くあったように思います。
 しかし、そうではなく、神が家族を構成するひとりびとりに与えて下さった賜物を認め、敬い合って生きていかなければならないこと、自分はその家族のなかで何をすべきかを求めていかなければならない、それが一致への道であることを示されました。他者の不足を見るのではなく、起こってくる出来事の中に自らが緊張感を持ち続けようと願いました。
 なお、私たち夫婦が祈りつつこの夏に示されたことを信仰の実践としてなされるように、取り組んでいきたく思っております。

(仙台聖泉キリスト教会 会員)