同労者

キリスト教—信徒の志す—

わかふうふ、わかもん、いっしょに学ぼっ!

— 主の御名を誇る —

tadasi-san

玉城 義



「そうして私たちは立って、ベテルに上って行こう。私はそこで、私の苦難の日に私に答え、私の歩いた道に、いつも私とともにおられた神に祭壇を築こう。」(創世記 35:3)
「まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと  恵みとが、私を追って来るでしょう。  私は、いつまでも、主の家に住まいましょう。」(詩篇 23:6)

 次男が5月の誕生日を迎え、5歳になりました。神に愛され、教会に愛され、ここまで育てられたことを感謝致します。
 4月から新しい幼稚園に通っています。今までの環境と変わり、新しい先生、友達との関係に、彼なりに色々考えながら歩んでいる姿を見ています。これも一つ一つ神が与えてくださったこの子に対する道であると信じ、その所にあることを感謝しています。
 また教会の中においても、剣道の師範であられる石井矗兄が教会の子ども達に剣道の稽古をして下さっています。それをサポートするために山本咲姉、山本盡子先生、山田保兄と私が加えさせて頂いています。
剣道の防具は、体のわりに大きいので、垂れが下がりやすいため盡子先生がつりバンドを着けてくださり、剣道の足さばき、竹刀の握り方、振り方等、その年齢では言葉だけではわからない所もあり、わかりやすいように手足にシールを貼り、指導にあたって下さっています。
 そのように教会が豊かに関わって下さっていることを感謝しております。
 次男にも神が共に生きて下さっていることを思いながら、そのことを分かってほしいと思います。
 今年も半年が経ちましたが、私達の教会も神から沢山の恵と祝福を頂きながら、また試練の中をも通らせて頂いています。
 私自身の家族の中においても、それぞれ環境が変わり、それぞれが歩み出している中で、私自身は神の御前に真実に歩んでいるか問われます。
 礼拝のメッセージで取り上げられているヤコブの生涯を見る時、ヤコブが置かれている一つ一つの場所にあって、自分が招いた結果を自分自身のこととして受け入れ、そこに神ご自身が御臨在下さり、ヤコブは真の悔い改めをもって、神に礼拝を捧げ、神がヤコブと共に生きて歩んで下さっていることを感じます。
 私自身も、教会、家族、仕事の中において自分の弱さを感じながらそれを受け入れて生きていかなければなりませんが、神はどんな時でも私自身と共に生きていて下さっています。
 これまでの私の生涯にも、神は私が生まれた時からずっと一緒にいて下さり、キリストの十字架を通して罪から贖い出してくださり、信仰者としての歩みをここまで導いて下さいました。神はだれかれではなく、私自身を本当に愛して下さいました。
 その愛を受けた者として、私は神を愛していきたい、神の御名を誇る者として、神の御前に真実に生きていきたく思います。
 そのように次男にも願い、私自身の使命としてこの子を十字架の御許に共に連れていくことを思いながら、神の御前に歩み続けていきたく思います。

「ある者はいくさ車を誇り、ある者は馬を誇る。しかし、私たちは私たちの神、主の御名を誇ろう。」(詩篇 20:7)

(仙台聖泉キリスト教会 会員)