同労者

キリスト教—信徒の志す—

わかふうふ、わかもん、いっしょに学ぼっ!

— 愛の帯を身に着ける —

miwa-san

石井 ミワ



「それゆえ、神に選ばれた者、きよい、愛されている者として、あなたがたは深い同情心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい。 互いに忍び合い、だれかがほかの人に不満を抱くことがあっても、互いに赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたもそうしなさい。 そして、これらすべての上に、愛を着けなさい。愛は結びの帯として完全なものです」 (コロサイ 3:12-14)

  この年、この御言葉が与えられ、一年をはじめさせていただきました。
 昨年の歩みを振り返りつつ、改めて御言葉を見直したとき、私は目の前にあることに必死になるあまりに、御言葉にある「深い同情心」「慈愛」「謙遜」「柔和」「寛容」というところから少し離れてしまっていたように感じました。
愛の帯をつけるまでに至っていない自らを省み、意思してそのところを実践したいと願っています。
 先日、子供たちと話をしていて「聞く」ために愛が必要だということを痛感したことがありました。当日私は疲れていて、娘の話に生返事と冗談とを繰り返してしまい、娘を怒らせてしまいました。ちゃんと聞くために体力が必要で、ちゃんとアドバイスするための知恵にも力が必要なのだと、今は御言葉の糧を通して与えられる力を蓄えたいと願いました。
 聖書を学ぶ会の中で、「御言葉を読んでいてもなかなか頭に入ってこないことがあって、文字を辿っているだけのように感じるのですが、それでも良いのでしょうか?」と質問しました。先生からは「昨日のごはんに何を食べたか覚えていなくとも、確かに生きる力になっているように、御言葉も読み続ける中で力になっている。だから、やめてしまうのではなく、続けて読むことが大切です。」と教えていただきました。
 すぐに諦めてしまうのではなく、御言葉の風の中で、少しづつ力を蓄え、時が来た時に確実に生かしていける1年となれるよう、この年を過ごしていきたいと願っております。


(仙台聖泉キリスト教会 会員)