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キリスト教—信徒の志す—

聖書研究

— 罪について(36)—

野澤 睦雄


「暁の子、明けの明星よ。どうしてあなたは天から落ちたのか。国々を打ち破った者よ。どうしてあなたは地に切り倒されたのか。あなたは心の中で言った。『私は天に上ろう。神の星々のはるか上に私の王座を上げ、北の果てにある会合の山にすわろう。密雲の頂に上り、いと高き方のようになろう。』」(イザヤ書 14:12-14)
「射手を呼び集めてバビロンを攻め、弓を張る者はみな、これを囲んで陣を敷き、ひとりものがすな。そのしわざに応じてこれに報い、これがしたとおりに、これにせよ。主に向かい、イスラエルの聖なる方に向かって高ぶったからだ。」(エレミヤ書 50:29)


2.各論
(5)高ぶり < 2 >
 さきにツロの王に対する神のことばを参照しました。冒頭のみことばはバビロンに対するものですが、ここもサタンに対して語っておられるように思われます。
「いと高き方のようになろう。」これがサタンの高ぶりでした。
 創世記3章の、人間に罪が入ってきたことを記してある箇所には興味深い事項がたくさんありますが、人間を陥れたサタンのことばの中心にあるのが、「あなたがたの目が開け、あなたがたが神のようになり、善悪を知るようになる」でした。
「神のようになれる」ということばで人間を誘惑することに成功しました。それで、人間が最初に犯した罪も「高ぶり」でした。
 この記事のことは、よく知られていますが、もう一度確かめ、読み直してもいいかもしれません。
 エバを誘惑したのは蛇でした。蛇がサタンの代弁者になったのであることは言うまでもありませんが、「神である主が造られたあらゆる野の獣のうちで、蛇が一番狡猾であった。」(創世記 3:1)とあり、この「狡猾」ということばには、「悪」のニュアンスがあります。しかし、自然界のできごと、人間以外の生き物には、善悪は存在しません。神学書のなかには人間を不幸に陥れる自然界の災害などのできごとを「悪」と呼んでいるものもありますが、それは明らかに間違いです。同様に動物が「弱肉強食」であっても、それは「悪」ではありません。動物に善悪は存在しないのです。
善悪は「霊の世界」においてだけ存在します。霊である存在は、神、人間、天使、サタンと悪霊たちです。
 エデンの園の蛇は何であったのでしょうか。ガダラの地で、レギオンという名の(悪霊も名を持っているのは興味深いことですが)悪霊たちがイエスの許可を得て、豚の群れにとりついた記事があります。それと同じように、蛇にサタンがとりついたのであるということがもっともありそうなことです。この蛇は、このとき以前は腹ばいで歩くものではなかったと理解してもよさそうです。「神である主は蛇に仰せられた。「おまえが、こんな事をしたので、おまえは、あらゆる家畜、あらゆる野の獣よりものろわれる。おまえは、一生、腹ばいで歩き、ちりを食べなければならない。」(創世記 3:14)
 神がアダムに言われたことは、
「神である主は人に命じて仰せられた。「あなたは、園のどの木からでも思いのまま食べてよい。しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるとき、あなたは必ず死ぬ。」」(創世記 2:16-17)でした。
 サタンはエバを惑わすためにまず質問で始めました。
「あなたがたは、園のどんな木からも食べてはならない、と神は、ほんとうに言われたのですか。」(創世記 3:1)
エバの答えは、神の言われたことと少し違っていました。「私たちは、園にある木の実を食べてよいのです。しかし、園の中央にある木の実について、神は、『あなたがたは、それを食べてはならない。それに触れてもいけない。あなたがたが死ぬといけないからだ』と仰せになりました。」 (創世記 3:2-3)
神は「触れてはいけない。」とは言いませんでした。また「必ず死ぬ」と言ったのであって、「死ぬといけないから」ではありませんでした。
それを捉えて、すかさずサタンは「「あなたがたは決して死にません。あなたがたがそれを食べるその時、あなたがたの目が開け、あなたがたが神のようになり、善悪を知るようになることを神は知っているのです。」とたたみかけていいました。
このサタンのことばには巧妙なすりかえがあります。
サタンが言った「死にません」は肉体のことであって、アダムとエバは死にませんでした。しかし、神のことば通り、彼らの「霊」は死にました。
サタンの言ったとおり彼らの「目が開け」たのですが、それは「この世」のことでした。身近には自分たちが裸であることを知りました。けれどの彼の霊的な目は完全に見えなくなり、園の木の陰に入っただけで神から身を隠せると思いました。
サタンの言った通り「善悪を知る」こととなりました(神が造られた善悪の知識の木の実を食べたのですから)が、自分の悪を、エバは蛇のせいにし、アダムはエバのせいにしました。罪をなすりつけあったのでした。

アダムとエバは、神のことばを守らないことがどのような結果を招くか、自分たちの子どもであるカインとアベルのできごとでいやというほど知らされることになりました。
その悪の結果は今に至るまで影響を及ぼし続けています。

(仙台聖泉キリスト教会員)