聖書研究
— 罪について(32)—
野澤 睦雄
「自分の宝を地上にたくわえるのはやめなさい。そこでは虫とさびで、きず物になり、また盗人が穴をあけて盗みます。自分の宝は、天にたくわえなさい。そこでは、虫もさびもつかず、盗人が穴をあけて盗むこともありません。 あなたの宝のあるところに、あなたの心もあるからです。」(マタイ 6:19-21)
聖書から特定の言葉を全部拾い出してみるのが、聖書を研究する方法の一つとして、有効であると思います。その手法を用いて、「盗む」ということばが書かれている箇所を全部拾い上げると、「盗み」に関して聖書が語っている全体像が見えてきます。
2.各論
(4)盗み < 7 >
盗む対象物は、これまで挙げてきたように、偶像や銀など金目のもの、牛や羊などにはじまって、農産物や当然家財道具などもあったことでしょう。
また次のようなものを「盗んだ」と書かれてあって興味が沸きます。
「アブシャロムはいつも、朝早く、門に通じる道のそばに立っていた。さばきのために王のところに来て訴えようとする者があると、アブシャロムは、そのひとりひとりを呼んで言っていた。「あなたはどこの町の者か。」その人が、「このしもべはイスラエルのこれこれの部族の者です」と答えると、アブシャロムは彼に、「ご覧。あなたの訴えはよいし、正しい。だが、王の側にはあなたのことを聞いてくれる者はいない」と言い、さらにアブシャロムは、「ああ、だれかが私をこの国のさばきつかさに立ててくれたら、訴えや申し立てのある人がみな、私のところに来て、私がその訴えを正しくさばくのだが」と言っていた。人が彼に近づいて、あいさつしようとすると、彼は手を差し伸べて、その人を抱き、口づけをした。アブシャロムは、さばきのために王のところに来るすべてのイスラエル人にこのようにした。こうしてアブシャロムはイスラエル人の心を盗んだ。」
(サムエル記Ⅱ 15:2-6)
アブシャロムの父ダビデも「知恵」の回る人でしたが、息子のアブシャロムは「悪知恵」が回りました。イスラエル人は彼の画策にまんまと載せられてしまいました。
その結果、神が立てられた王であるダビデに反逆してしまった。そしてやがてダビデについた者たちと戦争し、
「こうして、民はイスラエルを迎え撃つために戦場へ出て行った。戦いはエフライムの森で行われた。 イスラエルの民はそこでダビデの家来たちに打ち負かされ、その日、その場所で多くの打たれた者が出、二万人が倒れた。」(サムエル記Ⅱ 18:6-7)
心を盗まれた被害は、牛や羊を盗まれた被害より遙かに大きかったのでした。
私たちもサタンとその配下のものに心を盗まれないように警戒しましょう。