同労者

キリスト教—信徒の志す—

わかふうふ、わかもん、いっしょに学ぼっ!

— “宝を天に積む“~禁煙10年の歩み —

玉城 義

「イエスは彼を見つめ、その人をいつくしんで言われた。「あなたには、欠けたことが一つあります。帰って、あなたの持ち物をみな売り払い、貧しい人たちに与えなさい。そうすれば、あなたは天に宝を積むことになります。そのうえで、わたしについて来なさい。」」 (マルコ 10:21)

 家内と結婚して10年になります。10年前といえば、ちょうど東日本大震災があった時で、その1ヶ月前に私たち夫婦は結婚しました。
 私は独身の時からクリスチャンではありましたが、喫煙が止められず、隠れヘビ-スモーカーでした。
 教会からそろそろ結婚について取り組んでみないかとお話があった時も、喫煙を止めるつもりはありませんでした。思い煩いや悩み、自分の弱さや劣等感の中で頭がむしゃくしゃしてくると、喫煙することによって落ち着きを取り戻していました。
勧められて禁煙外来にも通院しましたが、私にとっては効果がありませんでした。
 家内と結婚して半年程過ぎた後、私自身怪我をして家内と一緒に病院に行くことになりました。その時に来ていた作業着にタバコが入っていて、家内に問われました。とうとう見つかってしまい、どうしようもなくなってしまいました。まさかそれで離婚するわけにもいきませんし、ここで喫煙を止めなければと決断をせまられました。
 ふとその時に頭をよぎったのが冒頭の御言葉でした。禁煙することが宝を天に積むことだと示されていましたが、私もその青年と同じように捨てられませんでした。どうしても捨てなければいけないと迫られたとき、「おいしいご馳走は一番最後に持ってくる」という発想でした。
 それは喫煙の至福の時間を生きている間に毎回味わっていたらおしまい、けれども、人生の一番最後にその至福の時間を持って行ったらと・・・。それを唯一の楽しみとして禁煙に取り組みはじめました。1週間吸わなくなりました。それが1ヶ月、半年、一年・・と続き、なんと10年!
いつのまにか、喫煙依存症がなくなりました。絶対止めらないと思っていた喫煙ですが、これは神の御業が私になされたのだと思います。
 今私は絶えずキリストのみ言葉を求めて、毎週家族と教会に通っています。講壇から語られる牧師先生のメッセージに活かされています。加えて、牧師先生はじめ愛する兄弟達と共に毎週土曜日にはジムに通うことが出来、心も身体も健全な生活をしています。
 その恵みは私の人生にとって大いなる神の御業であり、変えられた自分を神に感謝いたします。

  鹿が谷川の流れを慕いあえぐように、
  神よ。私のたましいはあなたを慕い
  あえぎます。
  私のたましいは、神を、
  生ける神を求めて渇いています。
  いつ、私は行って、
  神の御前に出ましょうか。
  (詩篇 42:1-2)

(仙台聖泉キリスト教会 会員)