同労者

キリスト教—信徒の志す—

巻頭言

— 試練の時、喜びの時 —

石井 行雄


  昨年は新型コロナウィルスの問題で揺り動かされた試練の年でしたが、今回は私の家庭、教会で起きた出来事について順に書きたいと思います。
 一昨年の二月は、私が職場での怪我のため入院し、仕事を35日休んだ試練の月でしたが、昨年の同じ二月は待ち望んでいた初孫が誕生した喜びの月でした。
 集会が終わった後に教会の兄姉から可愛がられる様子を見て、その後で孫を抱くことが私達夫婦にとって何よりの安らぎであり、喜びであります。昨年の礼拝メッセージでは創世記よりアブラハム、イサク、ヤコブ、ヨセフと四代に渡って信仰が豊かに継承されたことが語られました。石井家も同じ四代目の男子が誕生しました。教会の中で育てられ、ヤコブがベテルの地で神に出会ったように、やがて救われ、神共にいますインマヌエルの生涯を全うすることが私達の祈りであり、願いでもあります。
 三月は試練の月で妻が数年来悩まされてきた変形性膝関節症の手術を受けました。三週間の入院、七十日間の自宅療養、リハビリを経て元の清掃の仕事に復帰しました。

 後半は、分科会伝道会「三浦綾子読書会」のことを書きたいと思います。
 この会は十数年前、分科会伝道会がはじまりましたが、私たちの会は何をテーマにしようかと相談したとき、私が野澤兄に「三浦綾子読書会をしたい」と話したことがきっかけで始まりました。伝道の手段としてはよい方法だと自負したのですが思うようになりませんでした。
何人かの新しい方が来られたのですが、二人だけの会が多かったような気がします。
外から女性の参加者がきてくれるようになり、迎える側にも女性がいるとよいと思い、山本嘉納先生に相談し教会の姉妹一人、参加をお願いして加わって頂きました。その方は私たちに心を開いて、悲しかったできごとを涙と共に打ち明けてくれたり、旭川の三浦綾子記念館を訪ね、お土産に本を買ってきてくださるほど私たちの会に溶け込んでくださったのですが、結婚を機会に他の地に行かれました。けれども姉妹とその方は今もスマホを通しての交わりは続いています。
 来られたほとんどの方は、私たちの会に共感してくれたのですが、ある女性からは会が社会奉仕活動に協力しないということで批判を受け驚いたこともありました。読書会の参加者で礼拝に来られた方はありませんでしたが、神の恵みは豊かであったと思います。来会者の人数という面では十分に成果があったと言えない状況が続きました。
 そんな中、新しい試みとして一年前から地方新聞に会の案内を載せることにしました。最初はなかなか反応がありませんでした。
私たちの教会の祈祷会では、導かれる方どうぞお祈り下さいといわれ、自由に祈るときがあります。
七月の祈祷会に、私は三浦綾子読書会を祝して頂きたいと祈りました。
その後、九月、十月、十一月に新聞を見て五人の方が参加され、教会の兄弟も一人加わってくださって九人の会になりました。私たちも共に喜び励まされて、充実した会を毎回行うことができました。
 九月の会の後、野澤兄から「石井さんが七月の祈祷会でこのために祈ったから、神様が聞いて下さったんだよ。」と言われました。思いがけない言葉にうれしくなり、またその言葉を通して兄の何事も神と結びつけて考える信仰を教えられました。
 ともすれば結果、方法にこだわり過ぎ、一喜一憂し、背後で働いてくださる神に信頼し、委ねることの大切さを忘れがちになる者ですが、これからも祈って行きたいと思います。
 今会社では私も七十歳を過ぎ、体力も気力も弱くなり、上に立って仕事をするよりも手助けの仕事をすることが多くなりました。教会の中でも同じような立場になりました。けれども「からだの中で比較的弱いと見られる器官がかえってなくてはならないものです。」「あなたがたはキリストのからだであって、ひとり、ひとりは各器官なのです。」(コリントⅠ 12:22、27)の御言葉は私に励ましを与えてくれます。

 今年もこの二月から三浦綾子読書会はスタートします。参加される方が与えられ、実りのある時となるように、祈り期待して行きたいと思います。

(仙台聖泉キリスト教会会)