同労者

キリスト教—信徒の志す—

論説

— 聖書信仰-8 —

「けれどもあなたは、学んで確信したところにとどまっていなさい。あなたは自分が、どの人たちからそれを学んだかを知っており、また、幼いころから聖書に親しんで来たことを知っているからです。聖書はあなたに知恵を与えてキリスト・イエスに対する信仰による救いを受けさせることができるのです。聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。それは、神の人が、すべての良い働きのためにふさわしい十分に整えられた者となるためです。」(テモテⅡ 3:14-17)

 アブラハムが守った「戒め」はどんなものであったでしょうか。彼は、

神を畏れ、信じ、神の命令に従いました。
割礼を受けました。
動物の犠牲を捧げて神を礼拝しました。
彼は神を愛し、隣人を愛しました。
彼は富んだ人になりましたが、神がそうなさったのであって、貪欲に金儲けをする様な人ではありませんでした。
彼は謙遜で、人に「譲る」ことのできる人でした。
勇敢で甥のロトのために戦争ができる人でした。
甥のロトを愛し、彼のために必死に神に祈ることができたひとでした。

こうして取りあげてみるとモーセの律法の原型は、アブラハムにあることが分かります。成文化された律法の書はまだありませんでしたが、彼は律法の戒めを守ったといえます。
しかしそれは旧約の人々の律法でした。

イエスはこう言われました。
「わたしが来たのは律法や預言者を廃棄するためだと思ってはなりません。廃棄するためにではなく、成就するために来たのです。まことに、あなたがたに告げます。天地が滅びうせない限り、律法の中の一点一画でも決してすたれることはありません。全部が成就されます。 だから、戒めのうち最も小さいものの一つでも、これを破ったり、また破るように人に教えたりする者は、天の御国で、最も小さい者と呼ばれます。しかし、それを守り、また守るように教える者は、天の御国で、偉大な者と呼ばれます。まことに、あなたがたに告げます。もしあなたがたの義が、律法学者やパリサイ人の義にまさるものでないなら、あなたがたは決して天の御国に、入れません。」 (マタイ 5:17-20)
 そこで気になるのが、先に挙げた、「肉についての戒めである律法」(ヘブル 7:16)、やコロサイ人への手紙の記述です。(コロサイ 2:16-23)
 イエスのことばから、旧約の律法もそのまま守らなければならないと主張する人々がいます。割礼や土曜日の安息日、食べ物に関する規定等々を守るのです。
それは、パウロを悩ませた「割礼派」そのものです。

 どのように解釈したらよいかというと、
「私たちは、律法が霊的なものであることを知っています。」(ローマ 7:14)
律法は霊的なものですから、次のみことばによらなければなりません。
「神はこれを、御霊によって私たちに啓示されたのです。御霊はすべてのことを探り、神の深みにまで及ばれるからです。 いったい、人の心のことは、その人のうちにある霊のほかに、だれが知っているでしょう。同じように、神のみこころのことは、神の御霊のほかにはだれも知りません。ところで、私たちは、この世の霊を受けたのではなく、神の御霊を受けました。それは、恵みによって神から私たちに賜ったものを、私たちが知るためです。この賜物について話すには、人の知恵に教えられたことばを用いず、御霊に教えられたことばを用います。その御霊のことばをもって御霊のことを解くのです。」(コリントⅠ 2:10-13)
 律法は、廃止されたのでは無く、霊的な書として今も守るべきものとして存在します。そして霊の事柄は聖霊によって霊的に解釈されなければなりません。
 これを「キリストの律法」(コリントⅠ 9:21、ガラテヤ 6:2)、「新約の律法」とよびます。これには旧約の教えだけで無く、新約聖書に規定されたものも含まれます。私たちは律法を、肉の律法のまま守るのではありませんし、律法を全部捨ててしまう「律法廃棄論者」であってはならないのです。
 律法の多くの部分はそのまま守らなければならないものとして、新約の私たちにもあてはまります。モーセの十戒は、土曜安息日以外すべて守らなければなりません。安息日の規定は霊的に解釈され、先に引用したように、
「祭りや新月や安息日のことについて、だれにもあなたがたを批評させてはなりません。 これらは、次に来るものの影であって、本体はキリストにあるのです。」 (コロサイ 2:16-17)
と理解すればよいのです。

 新約の恵みに生きる私たちは「キリストの律法」を守って生きなければなりません。その時、詩篇119篇の詩聖の叫びは、私たち自身の叫びになります。
 「幸いなことよ。
 全き道を行く人々、
 主のみおしえによって歩む人々。
 幸いなことよ。
 主のさとしを守り、
 心を尽くして主を尋ね求める人々。
 まことに、彼らは不正を行わず、
 主の道を歩む。
 あなたは堅く守るべき戒めを仰せつけられた。
 どうか、私の道を堅くしてください。
 あなたのおきてを守るように。」
   (詩篇 119:1-5)