同労者

キリスト教—信徒の志す—

回心物語

— アンドリュー・マーレー <南アフリカの牧師・著述家> —


<本コラムは「野の声|木田惠嗣のホームページ:40人の美しい回心物語:
("40 FASCINATING Conversion STORIES" compiled by SAMUEL FISK (Kregel Publications)の中から、適宜選んで、毎週の週報に連載翻訳したものです。)から許可をえて転載。

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     今日、私たちは、アンドリュー・マーレーを、主に、クリスチャン生活の活力に関して、多くの有用な書物を著(あらわ)した人であると考えている。事実、彼は、非常に多くの書物を著し、それらは、何度も版を重ね、今なお高い評価を受け、永年(ながねん)にわたって大きな祝福をもたらし続けてきた。
     しかし、マーレー氏の人生(1828-1917)を振り返って見ると、それ以上のことが分かる。彼は非常によく伝道した人で、高齢になっても、多くの伝道説教旅行に携わっていた。その上、彼は、宣教大会を創設したり、そこで説教するなど、海外宣教にも非常に重荷を負っていた。彼の子どもたちの何人かが、海外宣教の分野に自発的に進んだ時には、とても喜んだ。当時盛んに話題に上った彼の著書の一冊は、「海外宣教の問題に対する鍵」(H.C.G.モールが序文を書いている;私の持っている古いコピーは、American Tract Society, NY が発行した第四版です)であった。最近(1984)、他の再版された版が、宣教師課程の評判の良い基礎原理として用いられている。昔、F.B.マイヤーは、「もしこの本が、世界中の教会の牧師たちやクリスチャン達に読まれたならば、かつてなかったような大いなるリバイバルが起こり、海外宣教の情熱が燃え上がるだろう。」と、この本について書いた。
     マーレー氏は、また、若者の働きにもよく関り、老年にいたるまで、その擁護者であり、助言者であった。彼のよく知られた本で、「まことのぶどうの木」という本の第一版は、当時、盛んになりつつあった青年運動(the International Society of Christian Endeavor.)に献呈された。彼は、また、学校や、神学校を、最後には、恵まれない人々のための訓練機関を設立し、指導した。
     彼は、ケズィック運動に関心を持ち、その指導的な参与者であり、後には、その南アフリカ支部を設立した。D.L.ムーディの熱心な招きにより、彼は、ノースフィールドや、マサチューセッツでの協議会で語り、ムーディ聖書学院で講義をした。
     これらすべての傍ら、マーレイ氏は、南アフリカで最も大きな教団の議長を務め、その教団においては、長い間、彼の指導力が認められ、彼は、多くの危機に、教団の舵取りの助けをした。  彼の幅の広い働きを、ウィクリフ教会人物事典(Wycliffe Biographical Dictionary of the Church)は、次のように語る。「マーレー氏の時間は、ケープ植民地、オレンジ自由州、トランスヴァール、ナタールの教会の要請に答えるためにほとんど費やされた。彼の強い主張によって、彼の教会は、彼が、時間の半分を巡回伝道に用いることに同意した。・・・マーレー夫人の死後、彼の最後の12年間は、合衆国、カナダ、イングランド、アイルランド、スコットランド、オランダ、南アフリカの修養会や、伝道集会のために費やされた。」
     さて、それでは、彼は、どこで、著述する時間を見出したのであろうかという疑問が湧いてくる。彼は、いつも、ひとかたまりの分厚い書状を持ち歩いていた。彼は、およそ240冊の本や小冊子を執筆し、それが、15カ国語に翻訳され出版されている!一人の伝記作者は、彼の教えは、「フランス語、ドイツ語、イタリア語、スペイン語、スウェーデン語、デンマーク語、ロシア語、イディッシュ語、アラビア語、アルメニア語、テルグ語、マレーシア語、日本語、中国語に翻訳されることによって、同様の利益をそれらの国々にもたらした。」と語る。
     W.M.ダグラスの著した「アンドリュー・マーレーとその説教」という多くの版を重ねた伝記から、マーレー氏のものがたりを引用しよう。
     アンドリュー・マーレーは、敬虔な家庭に育った。彼の父は牧師であり、その家庭では、主に関することが、いつも子どもたちに教えられていた。スコットランドで勉強していたアンドリューと彼の兄弟のもとに、彼らの父から、自分が将来どのような職業につくか、まじめに考えるようにとの手紙が送られてきた時、彼らは、献身するつもりであると答えた。父親は、喜んだばかりでなく、賢明にも、「愛する子どもたちよ。お前たちが、イエス・キリストにその心をささげ、今より永遠にキリストのものとなり、好評を博したり、悪評を受けたりしながらもキリストに従うと信じている。」と付け加えた。
     二人の兄弟は、オランダ語で、さらに進んだ学びをする為にオランダへ行った。「オランダにおいて、アンドリュー・マーレーは救いの確信を得た。彼は、この大ニュースを次のようにその両親に書き送った。『愛する父上、母上;新しい兄弟が生まれた事をお知らせくださった8月15日付のお手紙を、本日、とてもうれしく拝見しました。同じように、父上、母上も、私が、新しく生まれ、天において、御使いたちに喜びがわき起こっているとお知らせできることを、喜んでくださると信じております。この事について、父上、母上に、自分がどのように感じているかを文章を持って表現することは、私にはとても難しいことのように思えます・・・』」
    「私が、どのようにして、今立っている恵みに導き入れられたかを振り返ってみますと、『主は、目の見えない者を彼の知らない道に連れて行き、彼が今まで知らなかった小道へと彼を導かれた。』ことを認めなければなりません。・・・スコットランドを離れた後、海上の三日間に、厳粛な時を過ごしました。:アバディーンからの出発―航海―過去の想起とすべては、人を熟考に導く為に計画されていました。しかし、オランダについた後、私は、真剣に祈るよう導かれたと思いました。それ以上語ることはできません。というのは、私は、『かつては見えなかったが、今は見える』ということしか知らないからです。私は長い間悩んできました・・・しかし、今や信じており、一人の罪人が、キリストに自分自身を明け渡すよう導かれてきたと確信を持って語ることができると感じています。父上、母上も、私と共に主を賛美してください。今、私は、平安です;私は神にある真の確信を楽しんでいます。」
     伝記作者は、続いて、「彼は、18歳の誕生日の前の晩、『明日、私の生涯において、最も大きな出来事の起きた一年が終わろうとしている。その一年に、私は、神が神を求めるものに対して、いつくしみ深いと言うことを、非常に豊かに経験した・・・この間、私が信じているのは、私が回心したからであり、神は感謝すべき方であると書いたが、今なお、それは神のわざであると信じている。』」
     何年も経ってから、彼は、「私の義認は、真昼のように明らかです。私は、神から、赦しの喜びを頂いたその時を知っている。」と言った。
     後に、マーレーは自分自身について、、「ああ、魂が滅びつつあるというのに、私は何と安楽に、満足して生活していることだろうか。キリストが罪人たちのために涙を流し、同情されたと同じ感情を、私は何と少ししか感じることができなかったのだろうか。私たちの心に、休むことができないほどに魂への愛が満ち溢れていたならば、私たちは、今の私たちとは非常に違った存在になったであろう。」と言っている。