同労者

キリスト教—信徒の志す—

論説

— 聖霊を受けなさい —

「その日、すなわち週の初めの日の夕方のことであった。弟子たちがいた所では、ユダヤ人を恐れて戸がしめてあったが、イエスが来られ、彼らの中に立って言われた。「平安があなたがたにあるように。」こう言ってイエスは、その手とわき腹を彼らに示された。弟子たちは、主を見て喜んだ。イエスはもう一度、彼らに言われた。「平安があなたがたにあるように。父がわたしを遣わしたように、わたしもあなたがたを遣わします。」そして、こう言われると、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。あなたがたがだれかの罪を赦すなら、その人の罪は赦され、あなたがたがだれかの罪をそのまま残すなら、それはそのまま残ります。」」(ヨハネ 20:19-23)
「五旬節の日になって、みなが一つ所に集まっていた。すると突然、天から、激しい風が吹いて来るような響きが起こり、彼らのいた家全体に響き渡った。また、炎のような分かれた舌が現れて、ひとりひとりの上にとどまった。すると、みなが聖霊に満たされ、・・」(使徒 2:1-3)

 イエスは復活された日、早朝にマグダラのマリヤに会われました。その日の夕方、弟子たちが集まっているところにおいでになった事が、冒頭に掲げたみことばに記されています。そこで話されたことの中心は、「聖霊を受けなさい。」ということでした。
イエスは40日間、ご自分が復活されたことを弟子たちに示され、天に上げられました。その後、弟子たちはエルサレムで、泊まっていた家の屋上の間に集まって、聖霊を求めて祈りました。集まった人数は、120人ほど、と書かれています。10日間祈り続け、ペンテコステの日がやってきたとき、聖霊がおいでになりました。集まっていた人々は「みなが聖霊に満たされ」ました。
 この「聖霊」は、救われた時、心の内に住んで下さったのと同じ聖霊ですが、イエスが「栄光を受けられ」て「イエスの霊、キリストの霊」としてお遣わしになった聖霊です。この聖霊を受けたひとは、バプテスマのヨハネが、
「私は、あなたがたが悔い改めるために、水のバプテスマを授けていますが、私のあとから来られる方は、私よりもさらに力のある方です。私はその方のはきものを脱がせてあげる値うちもありません。その方は、あなたがたに聖霊と火とのバプテスマをお授けになります。」(マタイ 3:11)
と紹介した、聖霊と火とのバプテスマに与ったのです。
救われた時に受けた聖霊は、「水のバプテスマ」の聖霊です。そのことをイエスはニコデモに教えられました。
「人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国に入ることができません。」(ヨハネ 3:5)
「野のゆりがどうして育つのか、よくわきまえなさい。働きもせず、紡ぎもしません。しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を窮めたソロモンでさえ、このような花の一つほどにも着飾ってはいませんでした。」(マタイ 6:28-29)
と、イエスは「例」をあげて教えられました。
 旧約聖書は全部私たちを教えるために神が備えて下さった「例」なのです。
 旧約の人にも神は、神の霊に満たされた人をおいて私たちに示されました。
ヨセフがその例です。
「そこでパロは家臣たちに言った。「神の霊の宿っているこのような人を、ほかに見つけることができようか。」パロはヨセフに言った。「神がこれらすべてのことをあなたに知らされたのであれば、あなたのように、さとくて知恵のある者はほかにいない。あなたは私の家を治めてくれ。私の民はみな、あなたの命令に従おう。私があなたにまさっているのは王位だけだ。」 (創世記 41:38-40)
 ダニエルもその例です。
「私、ネブカデネザル王が見た夢とはこれだ。ベルテシャツァルよ。あなたはその解き明かしを述べよ。私の国の知者たちはだれも、その解き明かしを私に知らせることができない。しかし、あなたにはできる。あなたには、聖なる神の霊があるからだ。」(ダニエル書 4:18)

旧約の時代には、このように神の霊に満たされた人物は、働きのために特別に選ばれたひとだけでした。しかし、イエスが天に上げられた後の最初の五旬節、ペンテコステから、信じるすべての人が聖霊をうけることのできる時代となりました。そのことについて、ペテロはこう説教しました。
「これは、預言者ヨエルによって語られた事です。『神は言われる。終わりの日に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたがたの息子や娘は預言し、青年は幻を見、老人は夢を見る。その日、わたしのしもべにも、はしためにも、わたしの霊を注ぐ。すると、彼らは預言する。また、わたしは、上は天に不思議なわざを示し、下は地にしるしを示す。それは、血と火と立ち上る煙である。主の大いなる輝かしい日が来る前に、太陽はやみとなり、月は血に変わる。しかし、主の名を呼ぶ者は、みな救われる。』・・・神はこのイエスをよみがえらせました。私たちはみな、そのことの証人です。ですから、神の右に上げられたイエスが、御父から約束された聖霊を受けて、今あなたがたが見聞きしているこの聖霊をお注ぎになったのです。」] (使徒 2:16-33)

 今は、イエスを信じるひとすべてが聖霊を受けることができる時代です。 既に受けている人はそれをためらわず証しましょう。まだ受けていない人には、聖霊という最高の賜物を神が備えてくださっています。神はそれを与えたいと思っておられますからそれを受けて下さい。神の賜物を投げ捨てたりしませんように。 聖霊を受ける鍵は「信仰」です。 神は信じる人に聖霊を注がれます。きよめ派の人は「きよめ」ということばで教えられることでしょうが、聖霊を受けることが「きよめ」の出発点であり、聖霊によって歩むことが「きよめ」です。