同労者

キリスト教—信徒の志す—

証詞

 − 救いの証 −
- 今、とても辛い状況にある方々に伝えたいこと -

鎌田 新


皆様、こんにちは。
私は青森県の平内町と言います陸奥湾に面した、ホタテ貝の養殖で有名な小さな町で牧師をしております、鎌田と申します。
 今日は私がどのようにしてキリスト教徒になったか、またなぜ神を信じるようになったかという事について、個人的な体験を交えながら、特に若い方々へ、また今、とても辛い状況にある方々に向けて、聖書の言葉をお伝えしたいと願っております。
 イエスキリストは「私は道であり、真理であり命である」と言いました。「私を通してでなければ、誰も天の父の元へ行く事はできない」と。 私は牧師の息子として育ち、10代で洗礼を受けていましたが、本当の意味で信仰を持ったのは、ずっと後の事です。
 高校を卒業し、20代を東京でアルバイトをしながら、大学に行くつもりで過ごしていました。自分はこれからどう生きて行くのか、人生で何をしたいのか、ハッキリとした目標も見い出せないまま、とりあえず大学には入ろうという、ただ漠然とした思いで過ごしていました。 神を信じてはいませんでしたので、友人にはキリスト教のキの字も話した事はありませんでしたし、自分が牧師の息子である事を話すのにも、大きなためらいがありました。 受験戦争の中で、神を信じたからと言って合格する訳じゃ無し、人生に成功するわけでも無し、現実は結局のところ、自分の能力と努力次第なんだから、神を信じる意味なんてないじゃん、と当時の私のように考えている方々は多いと思います。これを読んでいるあなたも、もしかしたら、そうかもしれません。いわゆる自力本願で、私たちは皆生きているわけです。
 私は、東京で親元から離れた自由な生活をただ満喫し、流されて行きました。
アルバイトはやがて本業のようになり、様々な事にも挑戦しましたが、やがて20代も後半になった時、厳しい現実の中で自分の限界を知ることとなりました。
 毎日ただお金を稼ぐためだけに働き、ささやかな享楽を追い求めながら日が暮れて行く。夢も希望も失い、将来への非常な不安と焦りの中で、虚しく過ぎて行く日々。人生の意味がわからなくなり、絶望感の中で道を見失い、完全に挫折しました。27歳の時です。
 このまま頑張るのか、それとも諦めて田舎へ戻るのか?人生の分かれ道に立っていました。それは私の人生で最も辛く苦しい時でした。まさにどん底。
人は、自分の行く方向を見失う事ほど苦しい事は無いと思います。
私はこれ以上もう下は無いと思うほど、深い所まで精神的に堕ち込んでいました。
 まるで深い穴の中に落ちて、もがいているような感覚の中で、ふと私は、子供の時に聞いた、しかし、ずっと関わりを避けて来たある人の名を思い出したのでした。
それはイエス キリストという方の名です(イエス キリストという名は、「救い主」という意味です)。そしてその時、私は生まれて初めて、短いながらも心からの祈りを捧げました。 「神様、もしもあなたが本当に存在されるのであれば、こんな惨めな、最低の私を助けて下さい」と。
 その後、私の人生はゆっくりと変わって行きました。やがて私はヨーロッパに渡る事となり、向こうの大学で神学を学んで後に帰国、40歳の時、牧師になりました。
 今あの祈りをしてから丁度倍の年齢になりましたが、もしあの時、神を呼び求めなかったら、今頃私の人生はどうなっていたか?と時々思うのです。
おそらく相変わらず自力本願で神無しの人生を生きている事でしょう。驚くような神の恵みの数々も体験しなかった事でしょう。
 今は神の救いを得て、今後の人生にも、また死んで後の人生にも究極的な意味においては、何の不安もありません。たとえ人生の嵐がやって来ても、神の守りと祝福が常にある事をこれまでの経験から確信できるからです。
 もし、今これを読んでくださっている方の中で、かつての私のように、どうしようもない状態の中で、道を見失って落ち込んでいる方があるならば、是非まことの神に祈ってみて下さい。理屈ではないのです、現実に、たとえあなたが今どんな悲惨な状況にあるとしても、全能の神の力は必ずあなたを救う事が出来るからです。
 当時の私には、たった一つだけわかっていた事がありました。悲しい事ですが、それは親も、友達も、誰一人として自分を救う事のできる人はいない、という事実でした。
もしも今あなたが、そのような絶望の中におられるなら、私はあなたに自信を持って宣言します。
 キリストの元へ行きなさいと。キリストのあなたへの愛を信じ、受け入れなさいと。
あなたがもし心から、この神に祈るなら、必ずあなたの祈りは聞かれると。そしてあなたの人生の道は開かれます。これが私の実体験であり、苦しんで助ける人もいないあなたに伝えたい唯一のメッセージです。
 やがてあなたは徐々に、神に守られ、導かれて歩む人生がどのようなものかを体験していく事になるでしょう。
自力本願ではなく他力本願な生き方です。しかもそれは人間の作り出した神々や偶像、宗教に信頼する事ではなく、まことの神に信頼し、神の憐れみの中を歩む人生を知る事なのです。 人に頼れば裏切られます、カネに頼ってもそれは飛んで行きます、権力や快楽、自分の能力や努力に頼っても、虚しく終わる事をあなたもご存知でしょう。
 あなたのために祈ります。今ご一緒に祈りましょう。最後にアーメンと言って下さい。
アーメンとはヘブライ語で「真実に、心から」という意味なのです。目をとじ、心を開いて、今神に助けを求めて祈りましょう。
「誰でも主の名を呼び求める者はみな救われる」と聖書にあるからです。
 天の父なる神様、あなたが私たち人間を憐れみ、送って下さった救い主、イエスキリストを信じて祈ります。
どうか、あなたが本当に存在されるのでしたら、この惨めな、絶望している私を助けてください。救い主イエスキリストの尊い名によって祈ります、アーメン。
 今ご一緒に祈ったあなたの上に神の守りと祝福がありますように。


 (夜越山祈りの家キリスト教会 牧師)