同労者

キリスト教—信徒の志す—

論説

— クリスマス —

「さて、この土地に、羊飼いたちが、野宿で夜番をしながら羊の群れを見守っていた。 すると、主の使いが彼らのところに来て、主の栄光が回りを照らしたので、彼らはひどく恐れた。 御使いは彼らに言った。「恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。 きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。 あなたがたは、布にくるまって飼葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。これが、あなたがたのためのしるしです。」 すると、たちまち、その御使いといっしょに、多くの天の軍勢が現れて、神を賛美して言った。「いと高き所に、栄光が、神にあるように。地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように。」 御使いたちが彼らを離れて天に帰ったとき、羊飼いたちは互いに話し合った。「さあ、ベツレヘムに行って、主が私たちに知らせてくださったこの出来事を見て来よう。」 そして急いで行って、マリヤとヨセフと、飼葉おけに寝ておられるみどりごとを捜し当てた。 それを見たとき、羊飼いたちは、この幼子について告げられたことを知らせた。 それを聞いた人たちはみな、羊飼いの話したことに驚いた。 しかしマリヤは、これらのことをすべて心に納めて、思いを巡らしていた。 羊飼いたちは、見聞きしたことが、全部御使いの話のとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。」(ルカ 2:8-20)

 イエス・キリストがお生まれになったとき、羊飼いたちは近寄って直接お会いすることができました。
 私たちも近寄ってイエスにお会いしたいと思います。それは聖書を通してしかできません。
 羊飼いたちが野宿で夜番をするのは、きつい仕事だったでしょう。彼らはその報いを得ました。神ご自身が彼らにイエスを見せようとして御使いを派遣し彼らを呼んでくださったのです。
夜番をしているときでしたから、夜のできごとです。御使いたちがきたとき、主の栄光が回りを照らしたので、夜の闇の中に光輝きました。
 恐らくイエスがお生まれになったのも夜であったことでしょう。羊飼いたちが間違わないように、イエスである「しるし」を教えられました。「布にくるまって飼葉おけに寝ている」生まれたての赤子がその方です。と。
 羊飼いたちはこう証言したにちがいありません。「御使いが現れて、きょうダビデの町であなたがたのために救い主がお生まれになりました、と言いました。」
それでマリヤは、「これらのことをすべて心に納めて、思いを巡らしていた」のです。
イエスがお生まれになるたことは、「この民全体のためのすばらしい喜びの知らせ」でした。
何がすばらしいのでしょう。生まれる方が「救い主」だからです。
ヨセフに告げられたことはこうでした
「あなたの妻マリヤを迎えなさい。その胎に宿っているものは聖霊によるのです。マリヤは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方こそ、ご自分の民をその罪から救ってくださる方です。」
(マタイ 1:20-21)
 この方はユダヤ人の期待した、ローマ帝国からユダヤを救う方でなく、ご自分の民をその「罪から」救う方でした。ご自分の民は、ユダヤ人だけでなく、すべての民であることが段々明らかになります。
それは「東方の博士たち」がイエスを礼拝しにやってきたことに表されています。
「イエスが、ヘロデ王の時代に、ユダヤのベツレヘムでお生まれになったとき、見よ、東方の博士たちがエルサレムにやって来て、こう言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおいでになりますか。私たちは、東のほうでその方の星を見たので、拝みにまいりました。」」(マタイ 2:1-2)
神は東方の博士たちにも星という「しるし」をお与えになりました。博士たちにとって、最初の段階は「その方の星を見た」のでした。
「彼らは王の言ったことを聞いて出かけた。すると、見よ、東方で見た星が彼らを先導し、ついに幼子のおられる所まで進んで行き、その上にとどまった。その星を見て、彼らはこの上もなく喜んだ。」(マタイ2:9-10)
博士たちの見た星を、惑星が重なったとかいろいろ言う人々がいますが、そういうものはすっぱり切り捨てましょう。これはイエスの誕生を博士たちに知らせるための奇蹟の星です。
その同じ星が、イエスのおられたところまで彼らを導いたのでした。
博士たちがイエスにお会いした時は、羊飼いたちがイエスにお会した時からだいぶ日が経っていたものと思われます。きっと宿もあいて泊まれるようになっていたことでしょう。その間にイエスの割礼などが行われました。
日が経っていることはイエスを殺そうと思ったヘロデが、近隣の2歳以下の男の子を全部殺させたことから推測がつきます。

 イエスがお生まれになって8日目に、割礼を受けに神殿にいったとき、シメオンとアンナというひとに会いました。彼らはイエスをみた瞬間「救い主」と見分けました。
彼らは長い間「イスラエルの慰められることを待ち望んでいた。」(ルカ 2:25)人たちでした。
 私たちも、主にちかづくために、 「主を待ち望み」(詩篇 37:34)ましょう。