同労者

キリスト教—信徒の志す—

JSF&OBの部屋

~ 喜んで神に仕える道を思い巡らして ~

齊藤 恵一

「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」(マタイ 11:28-30)

 私は魚釣りが好きで結婚する前は会社が休みになると近くの川や海に魚釣りに行っていました。父も予定が合えば二人で出かける時もありましたが、基本的には一人で行っていました。何が魅力かというとかかった魚を釣り上げるまでのほんの30秒ほどなのですが釣竿を通して魚から生の躍動を感じ取ることができるという点がまず挙げられます。
 会社と自宅の往復の決まりきった生活スタイルでは感じることのできない、変化に富んだ自然界で暮らす生き物とのやり取りは活気があり、心が元気になっていくことができました。
 しかし私の場合さらに楽しみなのは前日の準備にありました。魚釣りといってもただ餌を投げれば釣れるわけではなく、この魚を釣るには針のサイズはどうするかや餌をこの水深に落とすために浮きは道糸のどの部分に付けたら良いか、天気はどうか、潮が動くのは何時頃かなど見えない魚とその周りの環境を想像しながら前日仕掛けを作っていきます。そして仕掛けが切れて無くなっても良いように予備の仕掛けを準備したり竿の予備もバッグに詰めたりしてそういった一つ一つの事を丁寧に行っていくことの楽しさがあります。
 それでもやはり釣れない時もあり、すると何が今回釣果につながらなかったんだろうかと内省し、次はあれをやってみよう次はあれをと失敗から学ぶことが次の成功につながる足がかりになるとわかっている場合これほど楽しく失敗を受け入れることができるんだと魚釣りをすることによって気づかされました。

 イエスキリストは冒頭の聖句を語られましたが、私たちは学校教育や社会生活を送る中で他の人に迷惑をかけないようにとか、周りに何て思われてしまうか、仕事で勉強でミスしないように血眼になって書類を確かめて・・・など気にすることが多くあると思います。それも社会生活していく上で大事だとは思いますが、その結果どうなるでしょうか。神と出会い真の救いや幸福へと結びつくことができるでしょうか。
 私自身もまだまだ信仰者として未熟な者です。だからこそもっと成熟した信仰者になりたいと思いますし、そのためにどうすれば楽しんで喜んで神に仕えることができるかを祈り求めていく必要を覚えます。そして神に仕えることが喜びとなった時に失敗が新たな学びの場となり神に向っての成長が著しく与えられると信じなお来年の課題として取り組まさせて頂きたく願います。

(仙台聖泉キリスト教会 会員)