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キリスト教—信徒の志す—

ショートコラムねだ

— ニサンの月の17日 —


「箱舟は、第七の月の十七日に、アララテの山の上にとどまった。」(創世記 8:4)

 クリスマスですので、私たちを罪から救うために来られたイエスの、救いの中心である死と復活に心を向けたいと思います。
 それに関して「ニサンの月の17日」というキーワードがあります。
 ニサンはイスラエルの月の呼び方で、バビロン捕囚以前はアビブといい、以後はニサンというようになったとのことです。
 冒頭のみことばにあるように、ノアの方舟が水の上から地に着いたときが、ニサンの月の17日でした。それがノアの洪水の意味を示しています。水は死であり滅びです。そこから取り出されて復活しました。
「わずか八人の人々が、この箱舟の中で、水を通って救われたのです。そのことは、今あなたがたを救うバプテスマをあらかじめ示した型なのです。バプテスマは肉体の汚れを取り除くものではなく、正しい良心の神への誓いであり、イエス・キリストの復活によるものです。」(ペテロⅠ 3:20-21)
 イスラエルがエジプトを出たのも、ニサンの月の17日であっただろうと推測されます。日にちが書いてある聖書箇所を知りませんが、アビブの月の15日に過越の子羊が屠られて、イスラエル人の家の門の柱とかもいにその血が塗られました。その夜エジプト人のすべての初子が死にました。それで「エジプトは、民(イスラエル人)をせきたてて、強制的にその国から追い出した。」(出エジプト 記 12:33)そのせかされた様子は「それで民は練り粉をまだパン種を入れないままで取り、こね鉢を着物に包み、肩にかついだ。」(出エジプト 12:34)と書かれていることから分かります。
 これが過越の祭として決められ、イエス・キリストの時にも行われていました。
その時神はこの月を年の初めの月とさせなさいました。
 イエス・キリストはその、過越の祭りの日、ニサンの月の15日に十字架に掛かられ、17日に復活されました。
 エジプトは、サタンの支配する国つまりこの世を示していることは、キリスト者たちのあいだで共通認識となっています。
モーセの時、子羊が屠られ、その血によってイスラエルはその罪を神に見過ごされました。神が処罰せずに、血を塗られた家の前を通り過ぎられたので「過越」です。
 私たちも罪のあるものですが、イエスの血によって、神は私たちを処罰せずに過ぎ越してくださるのです。そしてイエスの復活により、私たちはこの世の罪の奴隷の地位から離れて、神の国に移されます。
「しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。」 (ヨハネ 1:11) 
 私たちはイエスを信じ、イエスの復活に与り、 エジプト(この世)の奴隷ではなく神の子となりました。