同労者

キリスト教—信徒の志す—

賛美歌物語


— 聖歌273番「いのちのいずみに」 —


     作詞;ロバート・ロビンソン(1735-1790)
     作曲;ジョン・ワイエス(1770-1858)
     引照;「主よ、あなたはわが神、わたしはあなたをあがめ、み名をほめたたえ
         る。あなたはさきに驚くべきみわざを行い、いにしえから定めた計画 
         を真実をもって行われたから。」(詩篇 18:2)             

<本コラムは「野の声|木田惠嗣のホームページ:賛美歌物語:
(これは、101 HYMN STORY by Kenneth W. Osbeck(KREGEL) の中から、有名な賛美歌を選んで、適宜、翻訳し、週報に連載したものです。)から許可をえて転載。

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     ロバート・ロビンソンは、1735年9月27日、英国はノートフォークのスワッフハムに住む卑しい両親から生まれた。彼が8歳の時、父親が亡くなり、14歳の時、彼の母は、彼に理髪業を学ばせるために、ロンドンへと送り出した。その後数年、彼は、ロンドンで、悪名高いちんぴらの仲間になって、放蕩生活を送った。
    17歳の時、彼は、ジョージ・ホイットフィールドが説教する集会に参加した。ロビンソンとその友人は、‘メソジストの人々にだまされる貧しい人々をあざける’目的で行った。しかし、ホイットフィールドの力強い福音的な説教が、若いロビンソンの心に深く刻みつけられ、彼は、キリストに立ち返った。その後数年経って、彼は、説教をし、メソジスト教会の牧師の一人になるよう召されていると感じた。結果として、彼は、ケンブリッジに移ったとき、メソジスト教会を離れ、バプテスト教会の牧師となった。そこで、彼は、たくさんの神学的著作物を通して、また、いくつかの賛美歌を通して、有能な神学者として知られるようになった。
     この詩は、ロビンソンがわずか23歳の時に書いたもので、2節に、興味深い表現が記されている。そこに、「いざうちたてましエベネゼルをば」とあるが、そのエベネゼルとは、神の誠実さの象徴です。2節にある「主よ、愛する神からさまよい、離れがちな私です」という一節は、ユニテリアンの教理に関わり、次第に罪の中へと堕落して、不安定な生活を送るようになる、ロビンソンの後の人生を予言しているかのごときです。
     次のような物語が語られている。ある日、ロビンソンが、駅馬車に乗っていると、賛美歌集に心を奪われている一人の婦人に気がついた。そしてその婦人との会話の中で、彼女は、ロビンソンに、彼女がハミングしている賛美歌についてどう思うかと尋ねた。ロビンソンは、突然、泣き出すと、「奥さん、私は、その賛美歌を何年も昔に作詞した、ほんとうにみじめな男です。もし、私が、世界を一千持っていたら、当時、私が味わっていた感情を楽しむためには、それをすべて与えても惜しくない・・」と言った。
     この曲は、18世紀初頭の有名なアメリカの伝道者アサエル・ネトルトン牧師の名前にちなんで、「ネトルトン」と呼ばれる。その作曲者、ジョン・ワイエスは、1770年3月31日、マサチューセッツ州ケンブリッジに生まれ、印刷工であり、素人音楽家であった。この賛美歌が、最初に発表されたのは、1813年に発行された「ワイエス聖歌集」の中です。