同労者

キリスト教—信徒の志す—

JSF&OBの部屋

~ オーソリティー ~

玉城 義

「イエスは彼に言われた。わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。」 (ヨハネ14:6)

 2年前、人生で初めて転職という経験をしました。それまでは、高校を卒業してからどこも行く所がなかった私を教会の牧師先生を通して、信者が経営する鉄工所に雇ってくださり、約30年間お世話になりました。その間に、結婚が与えられ、子どもが与えられ、3世代が同居するマイホームが与えられ、神の大いなる憐れみと豊かな祝福の中を歩ませていただきました。しかしながら、いつの間にか、この恵みを受けて当然、当たり前かのようになっていました。そんな私を神は砕かれ、転職の道へと導かれました。現在、私は、ゴミ収集の仕事をしております。8時から17時までマンツーマンで、周囲の安全確認をしながらの安全運転、安全作業を心掛けております。一見、単純作業に見えますが、絶えず考えながら、運転手と助手が連係し合い、また皆で連携を保ちながら安全に時間内に収集するようにしております。私の相手の方は、この道何十年の超ベテランで年輩の方です。職人気質で、以前、鉄工所でお世話になった親方を思い出してしまいます。しかし、その相手の方とは、なかなか相性が合わず、悩んでいます。その方の指図通り動いているつもりでも、意に沿わないことをしてしまい、なかなかかみ合わず、私達のコースがいつも一番遅く終わっております。そういう中にあっても、今まで事故を起こさず、ゴミの取り残しもなく、ゴミの積み過ぎによる過積載を起こさずにこられたのは、その方が厳しく私を指導されたおかげであり、神の配剤に感謝しております。
 私は、クリスチャン2世としてこの49年間、神が導いてくださいましたが、この教会の中で、牧師先生の牧会に従順に生きてきたかと問われると、積極的にその牧会の中に入っていこうという姿勢ではなく、いつでも逃げ腰ですぐに違うものに依存する者だったと思います。その道の権威に聞き従う姿勢を、教会においても、学校においても、職場においても、取り組まなかった結果、今、現在の仕事の中で、その刈り取りをしていると感じています。私自身、信仰者として、あらためて「主は私の羊飼い!」と心から告白させていただき、その権威の中に活かさせていただきたいと願います。

主は私の羊飼い。
私は、乏しいことがありません。
主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます。
主は私のたましいを生き返らせ、御名のために、私を義の道に導かれます。
たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。
あなたが私とともにおられますから。
あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです。
私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえ、私の頭に油をそそいでくださいます。
私の杯は、あふれています。
まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、私を追って来るでしょう。
私は、いつまでも、主の家に住まいましょう。
(詩篇23篇)

(仙台聖泉キリスト教会 会員)