同労者

キリスト教—信徒の志す—

巻頭言

— 真実の神 —

齊藤 望


「次の言葉は、信頼すべきことばです。『もし私たちが彼と共に死んだのなら、彼と共に生きるようになる。もし耐え忍んでいるなら、彼と共に治めるようになる。もし彼を否んだなら、彼もまた私たちを否まれる。私たちは真実でなくても、彼は常に真実である。彼にはご自身を否むことができないからである。』」(テモテⅡ 2:11-13)

 今年も8月まで様々な出来事がありましたが主によって守られてきたことを感謝します。
そこには多くの祈りと、感謝と、導きが与えられることの渇望がありました 個々の出来事を顧みれば、その都度、神の導きがありゆだねて歩んだ私ども夫婦の姿を見ることができます。
講壇から語られるメッセージからは人の計画や策略ではなく、神のご計画、召しに従うことの大切さを教えられました。このことについては夫婦の間で良く話題となりました。
私たちは行動したり、計画したり、未来のことを予想することが自由にできますが神の用意して下さっている必要は、時間のかかる事であったり、瞬時であったりと計り知れないものがありました。長い信仰生活の中で私たちが見せられたのはまさにそのようなことでした。
冒頭の御言葉は今年の聖句として与えられた箇所です。
昨年の年末に一年を振り返り大小さまざまな困難があったり、思い悩みがあったり、時には主のなさる事に疑問を感じたり失望したりしましたが、その都度、御言葉が与えられ講壇のメッセージに気づかされたりとまさに足元の灯の様でした。そのようなことを思いめぐらしているときにあたえられた御言葉でした。
 今年も多くの心揺さぶられることがありましたが、主に信頼して静かに祈り待ち望むことを実践して平安を保っております。
伝道活動もまた始まりました。プログラムが用意され動き出しています。その一つ一つに神の御働きがあり、導いて下さると信じております。救われることを祈っている魂がありますが、そのことも関わりながらそこに主の御手が伸べられることを願っています。

  「私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かっていった。
しかし、主は、私たちのすべての咎を彼に負わせた。」(イザヤ書53:6)
 

(仙台聖泉キリスト教会会員)