同労者

キリスト教—信徒の志す—

聖書研究

— 救いについて(45) —

野澤 睦雄


「愛する人々よ。あなたがたは、自分の持っている最も聖い信仰の上に自分自身を築き上げ、聖霊によって祈り、神の愛のうちに自分自身を保ち、・・・」(ユダ1:20-21)

3.聖書が示す人間観・・・救いの必要、救いの内容を考察する基礎

 <自分の建設>

これまで述べてきたように、罪を悔いあらためてキリストを信じ、救われますと、罪の赦し(義認・・神の前に義しいものとなること)と新生(新しく生まれること)に与ります。新生は「永遠のいのち」です。
新生は、神を信じること、義しく生きること、神と隣人を愛すこと、神に祈ること、神を讃美すること、神と神に代わって自分に働きをしてくれたひとに感謝することなど、全部を言い尽くすことができませんが、多くのよいもの、よい品性を救われたひとにもたらします。救われたひとが真摯な信仰に生き続けるならきよめ(聖化、聖潔)の恵みが拓かれますが、きよめについては触れないでおきます。
 新生のよい品性は救いに与るとただちに完全なものとなるのではありません。救われて真摯な信仰に歩んでいる皆さんは、言われなくても自分の経験でそれを知っています。
 それで冒頭に掲げたみことばにある、「自分自身を築き上げる」というテーマに取り組むことになります。
   取り組む内容はひとりひとりみな違います。
聖霊に導かれること、先生に教えていただくこと、周りの兄姉に導かれること、神が生活していくその歩みの中で導いてくださること等々、その手段も内容もひとくちでいえるものではありません。
しかし、聖霊はだめなものはダメ、よいものは聖霊の喜び、こころの平和をもってそれでよいとわからせてくださいます。それを信じてよいのですが、判断がつかないと思う人は先生に相談し、先生がよいとすることをよいと信じて生きるのです。そうできない人は信仰の「迷子」になります。

ペテロはこう教えています。
「それは、あなたがたが、その約束のゆえに、世にある欲のもたらす滅びを免れ、神のご性質にあずかる者となるためです。こういうわけですから、あなたがたは、あらゆる努力をして、信仰には徳を、徳には知識を、知識には自制を、自制には忍耐を、忍耐には敬虔を、敬虔には兄弟愛を、兄弟愛には愛を加えなさい。これらがあなたがたに備わり、ますます豊かになるなら、あなたがたは、私たちの主イエス・キリストを知る点で、役に立たない者とか、実を結ばない者になることはありません。」(ペテロⅡ 1:4-8)つまり自分を築くことができると述べています。

(仙台聖泉キリスト教会員)