同労者

キリスト教—信徒の志す—

JSF&OBの部屋

~ 娘と聖書 ~ 

森田 忍

「私たちは神の作品であって、良い行いをするためにキリスト・イェスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行いに歩むように、その良い行いをもあらかじめ備えてくださったのです。」(エペソ 2:10)

 2025年も2か月が過ぎようとする中で、2月は感謝なことがありました。
 6歳の娘ですが、4月に小学生になります。入学を前にして教会学校では2月から 小学科の生徒となり学びを受けていること、礼拝の席も2月から私の隣ではなく、一番前の席となり、年上の兄弟姉妹の間に入りながら礼拝の席を守っている姿を私は後ろの席から共に礼拝、諸集会の時を過ごしているときに、娘の成長が与えられていることに感謝を憶えました。

 少し前になりますが、娘にも聖書と讃美歌が与えられ、私の隣にいる時から、讃美歌も聖書も共に開き讃美し、聖書を読むことをしていましたが、特に娘にとっては聖書への関心があるようで、教会学校の先生が開かれた箇所を覚えて、私に教えてくれたり、旧約と新約の書簡の順番の歌を教会学校では学んでいる様で、最近では家の中で共に讃美しています。私もその讃美は小学生の時に讃美していたのを思い出しました。「創、出、レビ、民、申命記~」と口ずさむ中で、子どもの頃の記憶が思い返されました。

 また、娘との関りの中で、私が聖書通読をする中で娘も聖書を持ち出して、「お父さん、聖書の中で何書の何章何節って言って、それを開いて読むから」と私が咄嗟に言った箇所を開いて娘が読むという、二人での聖書を通しての関りが持てていることを感謝しています。

 聖書は神の教えを記した書物であります。まだこの小さな娘にとってその内容を理解し、信仰へと結びつくのは先になることではありますが、神はこの小さな者にも、聖書を与えて下さり、教会の先生方、兄弟姉妹、親である私達を通して、関りを導いて下さることを感謝致します。
 娘も本当の意味で信仰をもち聖書の御言葉に従って生きる者であってほしいと私は願い、神の導きを信じて歩むこの幸いを憶え、この年も歩まさせていただきたく思います。

(仙台聖泉キリスト教会 会員)