同労者

キリスト教—信徒の志す—

賛美歌物語


— 聖歌156番「イエスの十字架」 —


     作詞;エリザベス・C・クレファン(1830-1869)
     作曲;フレデリック・C・メイカー(1844-1927)
     曲命:“聖クリストファー”
     引照;「 彼らはみな、風を避ける避け所、あらしを避ける隠れ場のようになり、
         砂漠にある水の流れ、かわききった地にある大きな岩の陰のようになる。」
        (イザヤ書 32:2)

<本コラムは「野の声|木田惠嗣のホームページ:賛美歌物語:
(これは、101 HYMN STORY by Kenneth W. Osbeck(KREGEL) の中から、有名な賛美歌を選んで、適宜、翻訳し、週報に連載したものです。)から許可をえて転載。

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    「十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。」Ⅰコリント1:18

     この味わいのある讃美歌は、18世紀に、長老派に属する、ひとりの虚弱なスコットランド女性によって書かれた。彼女は、肉体的な弱さにも関わらず、有用で明るい人物であると、その地域全体に知られた人であった。女性では珍しいスコットランド人の讃美歌作者のひとり、エリザベス・セシリア・ダグラス・クレファンは、スコットランドのエディンバラに生まれ、同じスコットランドのメルローズで育った。そこは、美しいアボッツフォード地方の、有名なスコットランドの作家ウォルター・スコット卿が、「修道院長と修道院」という作品の中で言及したことでよく知られている、古い橋の近くであった。彼女の父は、郡保安官であり、母は、有名なダグラス家の子孫であった。エリザベスは三人姉妹のひとりとして生まれ、虚弱で、引っ込みがちの子であった。しかし、健康に限界はあったが、彼女は、社会の病気であったり貧しかったりする人々に仕え、彼女と、その二人の姉妹は、すべてのものを慈善につぎ込み、自分たちの日常の必要については、要求しなかった。メルローズ地方中の人々に、エリザベスは、「明るい太陽」のような人だと親しまれていた。エリザベスは、詩作を楽しみ、そのいくつかは、「家族の宝庫」と題されたスコットランド長老派の雑誌に掲載された。しかし、彼女の作品の大部分が、1872年、彼女が39才という若さで死んで三年後に出版されたこの雑誌の中に、匿名の作品として発表された。

     「イエスの十字は」は、1868年、クレファン女史の死の前年に書かれた。しかし、それは、1872年になるまで、出版されず、「家族の宝庫」誌上に、匿名の作品として、彼女の他の詩と共に発表された。原詩は、五節からなる詩であったが、今日、ほとんどの讃美歌には、三節のみが用いられている。彼女の時代、スコットランド長老派の多くの人々がそうであったように、エリザベスも熱心な聖書研究者であったので、彼女の讃美歌にも、聖書の象徴やイメージが満ちあふれている。たとえば、1節を見てみると、

    (訳者注;原歌詞の1節は、次のように訳せる。

     イエスの十字架のもとに 私は立ちたい
     そこは 揺れ動く地に立つ力ある岩の陰
         荒野の憩いの場
         道中の激しい日差しと
         一日の重荷より守る休息場
      
        「力ある岩」は、イザヤ32:2から
    「荒野の憩いの場」はエレミヤ9:2から
    「激しい日差し」はイザヤ28:12から
    「一日の重荷」はマタイ11:30から引用されている。

    エリザベス・クレファンは、また、聖歌429番「九十九匹の羊は」の作者でもある。

     この詩につけられた曲の名前は、「聖クリストファー」で、語源は「キリストを担う者」という意味です。これは、この詩のためにフレデリック・チャールズ・メイカーが作曲した曲で、彼は、その当時、イギリスにおいて、非国教徒教会のずば抜けて優れたオルガンニストであった。メイカーは、イギリスのブリストルに生まれ、その生涯のすべてを、その町の様々な教会で演奏して過ごした。フレデリック・メイカーは、「ブリストル曲集‘Brisutol Tune Book’」と呼ばれる賛美歌集の1881年版に、貢献した人で、彼の作曲した多くの曲が採用されている。彼はまた、聖歌268番「めぐみふかき主よ」の作曲者でもある。